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国会リポート vol.332(2017年5月18日発行)

 安倍総理が憲法施行70年を迎えた5月3日に「憲法9条改正は三項目に自衛隊の存在を位置づける追加をするだけでもよいのでは」と問題提起をしました。2012年に自民党憲法改正推進本部がまとめた草案には、一項はいじらず、二項を変更し自衛権の発動を記述し、国防軍を設置するということでしたので、党内外に波紋を広げました。

 憲法改正草案は自民党が野党の時にまとめたものです。それから何年も経たにもかかわらず、国会内の憲法審査会が開店休業状態であることに業を煮やし、一石を投じたという解説がありますが、私もその通りだと思います。9条の一項は戦争の放棄、二項は戦力の不保持をうたっています。そのため「自衛隊は憲法違反」との意見は根強くあります。歴代政権は一項を「侵略」戦争の放棄、二項を「侵略」戦争を遂行するための戦力の否認と解釈し、「自衛」のための戦力はこの範疇に入らないと解釈をしています。本来、国土と国民の命を外敵から守るための戦力は自然権としてすべての国に備わっているというのが世界の常識です。しかし、野党の中には自衛隊は明確に憲法違反であると主張している政党や議員もいますから、そのような位置づけでは、自衛隊員が誇りを持って命がけで任務にあたるには適切ではありません。

 それにしても日本国憲法には指摘されているようにちぐはぐな点がいくつもあります。国会に提出される予算案や法律案は可決されて初めて案が取れるわけでありますが、最初から案が取れていたり、国会が可決したというところを議決(可決も否決も議決と呼びます)したという表現になっていたり、どこの国の憲法にも設定してある大災害や侵略等、緊急事態に対処する項目がなかったり、不備が目立ちます。いかにも占領下に占領国が作ったモデルと言われるのもそうした点です。よく指摘される9条の問題点は一項の戦力の放棄にもあります。

 一項は侵略戦争と解釈されています。そして放棄の本来の意味は「権利は保有しているがそれを手放す」と解釈されます。だとすれば侵略戦争をする権利を日本は本来持っているが、それを現在は手放すという解釈になってしまいます。二項では戦力の放棄とは言わず、戦力の不保持という書き方ですから、一項も同様にしないと筋は通りません。世界中で憲法を戦後数十年間改正しない
国はないはずです。占領下にマッカーサーの指示によってGHQが作り、それを日本語に直した現在の憲法について、日本国民の意思によって、最初から日本語で時代に即したものに作り直すということは、憲法と現実との乖離を解釈で埋めていくやり方に頼らざるを得ないという葛藤から脱するためにも必要なことです。

 さて昨日(5月15日)麻生氏、山東氏らが集まって、派閥の合流協議が合意に至りました。麻生派は44人から60人前後に拡大し、額賀派を抜き細田派に次ぐ第二派閥になることが確定いたしました。第二次安倍政権発足当初は、無派閥議員が最大派閥(?)でありましたが、気が付けば各派からの争奪戦の末に数分の一に減ってしまいました。若手議員に言わせると派閥化が進む中で、無派閥でいるということは、人事や選挙支援態勢で相当不利になると不安に駆られるようです。党の執行部が数百名の議員全員を綿密に把握し、公正に評価して適切なポストに就けるというのが理想でしょうが、その議員の特性は日常の人間関係で把握していくしかなく派閥が公正評価の役目を果たさざるを得ないということのようです。自分一人で存在感を示しポストをとっていける実力者は別にして、若手に無派閥を強要するのは酷なようです。

 麻生氏の派閥論は自民党内を二大派閥化して疑似政権交代を可能にするという構想です。安全保障や外交政策等、国の基幹政策は政権交代毎に大きく変わることは適切ではありません。民進党に政権を担う力が無ければ自民党内で疑似政権交代を可能にするしかないという考え方のようです。

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衆議院議員〈神奈川県 第13区〉

甘利 明

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