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【まもなく1.17】





【まもなく1.17】


まもなく「1月17日」。
阪神・淡路大震災の日ですね。



あれから24年かぁ。。。。


あのときも、寒い日でしたね。


私は当時、全日本ろうあ連盟の職員として
仲間たちとともに
1月24日に大阪入りし、
1月25日に、三田を経由して神戸に入りました。
それから約3週間、
JR兵庫駅近くの「神戸ろうあハウス」を拠点に
「支援行動隊」という形で
いくつかのグループに分かれて
神戸市内の各避難所等を自転車で廻って
多くの仲間とともに
被災した聴覚障害者の支援活動に従事していました。


避難所に居ても、ろうあ者は、情報が入らない。
これから弁当の配布があるという放送が聞こえずに、
弁当配布の列にいつも出遅れてしまって
「3日間、何も食べれなかった」と言っていた、
おばぁちゃん。


FAXが故障し、大阪の職場に連絡が取れず、
半壊の自宅アパートのなかで
「無断欠勤になるのでは」と心配していた、若い男性。
一緒に避難所等をまわっていた「支援行動隊」の
聞こえる女性と一緒に
公衆電話のところに行って、
その電話通訳をもとに
勤務先や
ふるさとの両親に連絡できて
とてもホッとされていた青年。


メガネと同じで、補聴器も外して就寝する。
早朝の地震で、アパートが全壊し
大切な補聴器を取ることが出来ずに、
自宅を後にして、避難所の中で、
情報が入らず困っていた、難聴の青年。


避難所で孤立し、
周囲とコミュニケーションが取れないまま、
その精神的なストレスが高じてしまって、
体育館の端で
周囲と視線を合わさないようにしていた、
おじいちゃん。


周囲とコミュニケーションが取れず、避難所から
半壊のアパートに戻って生活していた、
ろうのご夫婦。
私たち支援行動隊に会ったとたんに
奥さんが号泣して、手話で、
いま抱えている不安をお話しくださっていたなぁ。


避難所の受付で聴覚障害者の存在の有無を尋ねても、
ほぼ「いません」と回答がある。
でも、手話を使いながら避難所を歩くと、
聞こえない方が手話で話しかけてくださることもあったな。
聴覚障害は外見では分からない。
実際には居るのに、居ないことにされてしまう。
そうした現実・・・。


ふだんはなんとか平穏に生活していても
いざというときには、障害者が置き去りにされてしまう
いろいろな現実を目の当たりにして
神戸の街を、みんなと一緒に自転車でまわりながら
とても悔しかったことを、今でも覚えています。


今でも、ときどき、
夢の中に出てくる、あの時の情景。
私は、たぶん、一生、忘れないと思います。


先日は、熊本で少し大きめの地震がありました。
この首都圏でも
いつ何時、
また大きな地震が発生しないとも限りません。


日常の防災対策の強化と同時に
特に障害者、高齢者、難病の皆さんなどの
「災害弱者」の方々が
安心して避難生活をおくれるような
「福祉避難所」の拡充など、
いろいろ考えなくてはならないのでは、と
思っています。





#阪神淡路大震災
#川崎市宮前区
#ふじなが忠
#藤永忠
#立憲民主党

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