菅義偉首相が誕生

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首相として初の会見に臨む菅氏(9月16日)
出典:首相官邸ホームページ(https://www.kantei.go.jp/jp/content/20200916suga_04.jpg)



 衆院神奈川2区(横浜市西区、南区、港南区)選出の菅義偉氏が2020年9月16日、第99代の首相に選出された。菅氏のプロフィールはこちら(https://seijinomura.townnews.co.jp/profile.html?aid=95)

 タウンニュースはこれまでも菅氏の動向を多く報じてきた。特に選挙区である横浜市西区、南区、港南区の紙面では地元での動きを紹介したり、インタビューを行うなどしてきた。紙面を通して菅氏のあゆみを振り返る(紙面内の肩書きは全て掲載当時のもの)。

紙面で振り返る菅首相のあゆみ

 タウンニュース南区版は2002年6月に創刊。菅氏の選挙を最初に報じたのは03年11月。3度目の当選を果たし、支援者と喜ぶ写真を掲載している。

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タウンニュース南区版 2003年11月13日号


 菅氏は毎年春に支援者向けの集会を開いている。04年3月の紙面では「新春の集い」を行い、約2,300人を集めたことを報じている。この集会の中で菅氏は「日本の優秀な官僚は今、自信をなくしている。また彼らが作りあげた法律を、自分たちで変えることは難しいだろう」と語っていた。

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タウンニュース南区版 2004年3月4日号


 05年9月の総選挙は当時の小泉純一郎首相が郵政民営化を掲げた「郵政選挙」。南区内に構えた菅氏の事務所には「郵政民営化に賛成」と大きく書かれた看板が掲げられた。この選挙で菅氏は03年よりも6万票以上を上積みする大勝で4選を決めた。「この国を作る政治家になりたい、そんな思いだ」と述べている。

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タウンニュース南区版 2005年9月15日号


 06年9月に発足した第1次安倍内閣で菅氏は総務大臣として初入閣を果たす。07年、自民党神奈川県連の会長に就任し、名実ともに発言力を増していく。会長就任直後に本紙の名物コーナー「人物風土記」で菅氏の人柄や人となりを紹介した。

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タウンニュース南区版 2007年6月14日号


 08年7月の地元向け集会には2,500人が集まり、前年の自民党総裁選で菅氏が支持し、この2カ月後に首相の座に就くことになる麻生太郎氏がゲストとして参加。菅氏について「地方分権の考え方が合う」とエールを送っていた。この2人がその後、第2次安倍内閣を支え続けることになる。

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タウンニュース南区版 2008年7月24日号


 菅氏は地元の祭りや行事にこまめに顔を出していた。09年4月、南区にある横浜橋通商店街が創立80周年を迎えたことを記念するセレモニーに参加。くす玉割に参加した。

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タウンニュース南区版 2009年4月23日号


 麻生内閣で迎えた09年9月の総選挙は自民党が大敗し、民主党に政権が移った。その中で菅氏は党の選挙対策副委員長として全国を駆け回っていた。自身の選挙は民主党候補相手にわずか548票差の大接戦を制し、5度目の当選を決めた。自民党が下野する事態に菅氏は「今が自民党再生の最後のチャンス。ここで変えなければ、政党として存在する価値がない」と言い切った。この苦しい選挙を忘れないようにと、今でも横浜の菅氏の事務所で使われているワゴン車のナンバーは「548」になっている。

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タウンニュース南区版 2009年9月3日号


 12年12月の総選挙は自民党が大勝し、政権奪還を果たした。この時、党幹事長代行だった菅氏はテレビ出演などが増え、党の顔として全国の候補者の応援に走った。自身の選挙区で活動できたのは12日間のうち、3日間だけ。それでも前回迫られた民主党候補に対してダブルスコアに近い圧勝だった。投開票日は東京の党本部にいたため、菅氏は翌日の早朝から地元の上大岡駅に立ち、当選報告を行った。この後に発足した第2次安倍内閣で官房長官に就いた。

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タウンニュース南区版 2012年12月20日号


 官房長官就任から1年が過ぎた13年12月、本紙の単独インタビューに対し、この年1月に発生したアルジェリア人質事件が最も印象に残っていると語り、「毎日が緊張の連続」と率直な心境を吐露している。

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タウンニュース南区版 2013年12月26日号


 14年12月の総選挙では官房長官として全国の50選挙区を回った。地元に入れたのは3日間だけ。それでも自身最高の得票率を得て7回目の当選を果たした。

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タウンニュース南区版 2014年12月18日号


 官房長官就任3年を迎えた15年12月に行ったインタビューでは「緊張感は全く変わっていない」としながらも「『何が起きても驚かない』という心構えになった」とも語っている。16年7月に官房長官在職日数が歴代最長になった。

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タウンニュース南区版 2015年12月24日号


 官房長官就任以降、横浜の行事に出席することが少なくった菅氏。しかし、17年3月には自身の思い入れがある横浜北線の開通記念式典に参加した。

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タウンニュース都筑区版 2017年3月23日号


 17年7月の横浜市長選では早くから林文子市長の3選を支持。当選が決まると、すぐに林氏の事務所に駆け付けた。

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林市長(中)、黒岩祐治知事(右)と握手を交わす菅首相

 17年10月の総選挙で地元入りしたのはわずか1日。「アベノミクス」の成果を訴え、大差で8回連続の当選を決めた。

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タウンニュース南区版 2017年10月26日号


 17年12月の官房長官就任5年のインタビューでは「いつの間にか5年になっていた」と述べ、「就任後、横浜の自宅には1回も泊っておらず、家に泊まりたいと思う」と語っていた。また、菅氏が導入に前向きで、横浜市が誘致を目指しているカジノを含む統合型リゾートについては「観光立国を目指す中で横浜に誘致できたらいいと思う」としていた。

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タウンニュース南区版 2017年12月21日号

首相誕生、地元も沸く

 20年9月16日、菅氏が第99代首相に選ばれたことを受けて、本紙は号外を製作し、南区内で配布した。

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■商店街では横断幕やセール

 首相指名の瞬間を見ようと、9月16日、南区宿町にある菅氏の事務所そばの葬儀社の駐車場に設けられた会場には、妻・真理子さんも駆け付け、支援者ら約250人とともにテレビで行方を見守った。就任が決定すると、支援者は万歳を繰り返すなど、歓声が上がった。

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首相就任が決まり、万歳する支援者

 「菅首相」が決定した直後、菅氏が顧問を務める南区の弘明寺商店街は顔写真入りの横断幕を掲げた。横浜橋通商店街でも似顔絵入りの幕を掲げ、買物客にまんじゅうを配るなどした。両商店街とも「第99代」にちなんで、商品やサービスを99円や990円で提供するセールが開かれるなど、祝福ムードに包まれた。

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横断幕が掲げられた弘明寺商店街(上)と横浜橋通商店街

■就任後、初の横浜入り

 9月21日午後、西区の久保山墓地を訪れ、自らが秘書として仕えた小此木彦三郎元衆議院議員の墓参りを行い、首相就任を墓前に報告した。16日の就任後、横浜に入るのは今回が初めて。滞在時間は5分程度だった。墓参後、記者団の質問に「地縁も血縁もない横浜で、政治の世界に飛び込んでたどり着いたのが小此木先生の事務所だった」と神妙な面持ちで答えた。現地を去る際には、車の中から沿道にいた人へ笑顔で手を振っていた。

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記者の質問に答える菅首相

南区から首相誕生

<上>商店街 全国から注目

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日本一早い横断幕

 「日本で一番早く、首相就任を祝う横断幕を掲げる」ー。こう豪語したのは、横浜橋通商店街の高橋一成理事長。安倍晋三前首相の辞任表明からわずか3日後の8月31日には、菅氏のイラストと「首相就任おめでとうございます」と書かれたアーケードに飾る横断幕のデザインができていた。

ゆかりの店 次々テレビに

 商店街の店舗の中には、菅氏が1996年の衆院選で初当選した前後からの知り合いも多い。なじみの飲食店は連日のようにテレビで取り上げられ、早い段階から注目された。ある商店主は「歌丸さんの時よりも注目されているね」と笑った。同商店街そばに住み続けた落語家・桂歌丸さんが2年前に亡くなった際は、歌丸さんゆかりの店や商品が全国的に紹介されたが、それ以上だという。

 9月16日午後、菅氏の首相就任が決定すると、商店街は用意していた幕を掲げ、事務所前で紅白まんじゅうを500個を無料配布。「第99代」の首相であることから、約30店舗が「99」にちなんだセールを実施し、商品やサービスを99円や990円で提供した。

 横浜橋通商店街の早い動きを知った弘明寺商店街も急きょ、横断幕の製作を決めた。菅氏は衆院選初当選直後から商店街の顧問を務め、アーケードの設置や工事に関し、商店街側が相談することも多かった。笑顔の菅氏の顔写真が入った横断幕は横浜橋とほぼ同じタイミングで掲げられた。

 商店街には「菅カツ」「菅カレー」などの商品や菅氏が生まれ育った秋田の漬物「いぶりがっこ」を売る店が見られた。ある商店主は「テレビを見て埼玉から来たという人もいた。今年は桜の時期がさっぱりだったから、少しは助かった」と"スガノミクス"に笑顔を見せた。しかし、別の店主は「一度来たお客さんがまた来てくれないと」と一時的な効果だけではいけないと気を引き締めた。

<下>姿見せ 市民の声聞く

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菅首相の誕生に支援者の多くが喜びの声を上げている。

 1996年の衆議院議員初当選時から支援しているという男性は「今までは気軽に『菅ちゃん』と呼んでいたけど、これからはそうもいかないね」と笑顔。しかし、「首相ともなると、今まで以上に地元に戻れないだろう」と心配していた。官房長官の7年8カ月間、地元に来るのは、自身の選挙の時と年数回の集会程度だった。支援者が集まるパーティーへの参加を予定しながら、開催当日になって国政への対応のために取りやめたこともある。それだけに、首相就任でより「遠い存在」になると思われていた。

就任5日後、初の地元入り

 首相となって初の地元入りは意外なほど早く実現した。首相就任5日後の9月21日午後、自らが秘書として仕えた小此木彦三郎元衆議院議員の墓参りのために西区の久保山墓地を訪れた。首相が到着する1時間以上前から黒のスーツを着た私服警官の姿が何人も見られ、物々しい雰囲気に墓参り客も不思議そうにしていたが、小此木氏の墓参りと聞くと、多くの人が納得していた。

 菅氏の滞在はわずか5分程度だった。帰る際には、報道陣が待機していた茶屋に出向いて関係者にあいさつし、東京へ帰る車の中から沿道の人に手を振って応えた。車の中の菅氏を見た女性は「首相になっても地元のことを忘れないでほしい」と述べた。

区内支援者と会食

 菅氏は官房長官時代から、さまざまな分野の専門家と懇談の場を設けて意見交換している。首相就任後も経済の専門家や子ども支援を行うNPO法人の代表、ジャーナリストらと会っている。10月3日には、菅氏を以前から支援する南区内の教育関係者を首相官邸そばのホテルに呼んで会食している。懇談の内容は明かされていないが、関係者を知る人は「こうして地元の声を直接聞いてくれることはありがたい」と話していた。