永井真人

県議会議員〈横須賀市〉

永井 真人

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【1週間ダイジェスト】令和7年12月15日〜令和7年12月21日

2025年12月28日 17:30

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12月15日(月)

【常任委員会】 

本日、神奈川県議会の全ての常任委員会が開会されます。 私は所属する建設・企業常任委員会に出席します。 今日の委員会を経て、18日の本会議に臨むことになります。 インターネット中継もあります。 

https://kanagawa-pref.stream.jfit.co.jp/

 

 

 

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12月16日(火)

【今年の漢字】

今年の漢字に「熊」が選ばれたというニュースに、思わずはっとさせられました。実際にクマと遭遇することは多くの地域ではまだ稀ですが、連日のように報じられる出没情報や被害の拡大を見るにつれ、私たちの暮らしが自然環境の変化と密接につながっていることを痛感します。山の実りが不足したこと、個体数が増えていること、里山管理の担い手が減っていること――どれが理由かと単純に言い切れないほど、複雑な要因が絡み合っています。 しかし、この「熊」という一文字には、人と野生動物の関係が揺らぎつつある今の日本社会の写し鏡が表れています。クマだけでなく、イノシシやサル、ハクビシンなど、都市近郊でも野生動物との距離が近づいている現実があります。神奈川県も例外ではなく、丹沢を中心に生息域を持つツキノワグマへの備えや、農作物被害への対策は、県として継続的に取り組むべき課題です。

今年の漢字は、単なる話題づくりの一文字ではなく、「自然との共生をどう再構築するか」という問いを突き付けています。人の安全を守りながら、野生動物との適切な距離を保つ仕組みをどうつくるか。被害対策だけでなく、生息環境の理解や地域協働の体制づくりなど、総合的な視点が求められています。「熊」を通して、私たちの暮らしの足元を静かに見直す一年だったのかもしれません。

 

 

 

 

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12月17日(水)

【神奈川宇宙サミット受付開始】 

令和8年2月5日に開催する「神奈川宇宙サミット」について、昨日から来場登録の受付が開始されました。 サミットでは、宇宙飛行士 野口聡一氏など、様々な方に御登壇いただき、宇宙ビジネスの可能性などを発信していきます。 詳しくはこちらをご覧ください。 

https://www.pref.kanagawa.jp/osirase/0604/space-summit/

 

 

 

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12月18日(木)

【第3回定例会最終日】 

神奈川県議会第3回定例会の最終日で県庁に来ています。 昨日は調整日で夜11時まで会議が続き、職員の皆さんも遅くまで残って事務作業を行いました。 国の補正予算が決まり、県議会でも新たな補正予算審査が行われています。 現在進行中の委員会審査が終わると、2回目の本会議が開かれる予定です。

 

 

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12月19日(金)

【「取り組み」とは、いったい何だろう】 

行政の説明を聞いていると、よく出てくる言葉があります。 それが「取り組み」です。 「〇〇については、引き続き取り組んでまいります」 「課題解決に向けて、取り組みを進めています」 議会でも、記者会見でも、広報紙でも、実によく耳にします。 では、この「取り組み」とは、いったい何を指しているのでしょうか。 事業を実施したことなのか。 検討会を立ち上げたことなのか。 担当部署で話し合いを始めたことなのか。 あるいは、ただ“意識している”という意味なのか。 実は「取り組み」という言葉は、とても便利な言葉です。 何かをやっているようにも聞こえるし、まだ途中であることも表現できる。 一方で、「何を、いつまでに、どこまでやるのか」は、はっきりしないままでも成り立ってしまいます。 行政の仕事は、一朝一夕に結果が出るものばかりではありません。 関係者が多く、調整に時間がかかるのも事実です。 だからこそ、「今は途中段階である」という説明が必要な場面も多い。

ただ、住民の立場からするとどうでしょうか。 困っているのは“今”であり、 求めているのは“取り組んでいる姿勢”だけでなく、 「いつ、どう変わるのか」という見通しです。 本来、「取り組み」とは、 目標があり、工程があり、責任の所在があるもののはずです。 ・何を目的にしているのか ・誰が責任を持つのか ・いつまでに、何がどう変わるのか これが示されて初めて、「取り組んでいる」と胸を張って言えるのではないでしょうか。 言葉は、行政と住民をつなぐ大切な橋です。 便利な言葉ほど、丁寧に使わなければなりません。 「取り組みます」と言われたとき、 その中身を問い続けること。 それもまた、民主主義の大切な“取り組み”なのだと思います。

 

 

 

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12月20日(土)

【支援がある社会から支援が届く社会へ】 

行政の制度は、多くの場合「平均値」をもとに設計されています。 標準的な世帯構成や平均的な収入、一般的な働き方を想定しなければ、限られた財源の中で公平な制度をつくることが難しいからです。 しかし、私たちの実際の生活は平均ではありません。 単身高齢者、ひとり親世帯、非正規雇用で働く人、住み込みで働いている人、家族の介護を抱えながら仕事をしている人など、暮らしの形は実に多様です。そして、こうした「個別の事情」を抱える人ほど、制度の想定から外れやすいのが現実です。 その結果、現場では「制度はあるが使えない」「違反ではないが前例がない」「基準にわずかに届かない」といった言葉が繰り返し聞かれます。支援を必要としているにもかかわらず、制度の枠に当てはまらないという理由で支援につながらないケースも少なくありません。

これは、行政が冷たいからではありません。むしろ、全体の公平性を保とうとする中で、個別事情に十分対応しきれない構造が生まれていると言えます。 だからこそ重要なのは、制度が「あるかどうか」ではなく、「どのように運用されているか」という視点です。平均値を前提につくられた制度を、現場でどこまで柔軟に扱えるのか。数字や基準だけでは見えない事情に、どこまで目を向けられるのかが問われています。 行政が平均値で動く以上、現場には一人ひとりの状況を丁寧に見る力が欠かせません。その積み重ねこそが、「支援がある社会」から「支援が本当に届く社会」へと近づく道ではないでしょうか。

 

 

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12月21日(日)

【文章力】 

最近、「文章がうまい人が増えたな」と感じることはありませんか。 メールもレポートも、驚くほど整った文章が当たり前のように届くようになりました。その背景には、チャットGPTをはじめとする生成AIの存在があります。文章を書くこと自体は、もはや特別な技術ではなくなりました。 けれど、その一方で、読んだ瞬間に「これは生成AIだな」と分かってしまう文章に出会うこともあります。内容はきれいなのに、なぜか心に残らない。読み進めるほど、書き手の姿が見えてこない。そんな違和感です。 生成AIの時代になって、文章の価値は下がったのでしょうか。 私はむしろ逆で、書き手の思考や姿勢が、以前よりはっきり浮かび上がる時代になったと感じています。 以下のブログをお読みください。 

【ブログ】生成AIの時代に、かえって浮かび上がる「文章力」


 
 
 

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