■第3回 「第2の街びらき」 シンボルはイルミネーション

2022年03月02日東海大学 笠原研究室

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第3回は、駅前の冬を彩るイルミネーションイベントを立ち上げた3人についてお伝えします。

(東海大学 文化社会学部 広報メディア学科 笠原研究室)

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駅前を彩るイルミネーション(2021年12月16日、佐藤梨穂香撮影)

「街を活気づける新しい方法はないか」「子どもたちの記憶に残るイベントがしたいね」。2007年9月、新百合ヶ丘駅近くの居酒屋で語り合う姿があった。駅のある川崎市麻生区内に職場を持つ岩倉宏司さん(61)、白井勇さん(67)、板橋洋一さん(67)ら5、6人は偶然のつながりで出会い、毎週のように集まっていた。

1974年、山や田畑に囲まれた農村地帯のど真ん中で大規模な造成工事が行われ、新百合ヶ丘駅は誕生した。その7年後に引っ越してきた岩倉さんは、「駅を出るとグランドキャニオンのような景色が広がっていた」と振り返る。駅周辺は急速に発展したが、1990年代後半にほぼ現在の形となって開発が一段落すると、停滞感が漂うようになった。

転機は2007年。"芸術のまち"づくりを掲げる麻生区の念願であった市民芸術の拠点「川崎市アートセンター」が駅北口に誕生し、さらに昭和音楽大学のキャンパスが厚木市から移転することも決定。再び街が動き出そうとしていた。それぞれが麻生区の街づくりに関わる仕事をしていた岩倉さんたちは、「これから"第2の街びらき"が始まる。自分たちにも何かできることはないか」と駆り立てられた。

そこで岩倉さんたちが目をつけたのが、イルミネーションだった。それまで川崎市役所本庁舎で行われていたイルミネーションが終了するという話を聞き、「それを新百合ヶ丘に持ってくることができないか」。子どもたちの記憶に残ることがしたい、という理念にもマッチしていた。酒の席で出た一案で、イベント開始の12月まで約3カ月しかなかったが、次の日には企画書を作成。市役所本庁から麻生区役所に異動してきていた板橋さんが行政との橋渡し役となり、地元の法人会とつながりがあった白井さんが企業や商店街に募金への協力を呼びかけた。ほかのメンバーもそれぞれのネットワークを駆使して東奔西走。「急に決まったことで時間がなかったから、しゃかりきになった」と岩倉さんは笑う。募金の目標額だった300万円は早々に突破。板橋さんは「学生のノリで始めたことがどんどん進んでいく」と驚きつつ、規模が大きくなっていくことで、「中途半端なものにはできない」と準備にいっそう力が入った。

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イルミネーションの前に立つ(左から)岩倉さん、板橋さん、白井さん(1月11日撮影、岩倉さん提供)

点灯式当日には募金額が1000万円に達し、「kirara@(きららっと)アートしんゆり」と題したイルミネーションが駅前を彩った。「"第1の街びらき"が終わって休火山状態だった街が、再び大爆発したような感じだった。止まっていた街を動かすことができた」と達成感に浸った岩倉さん。白井さんは、「影響力のあるメンバーが偶然集まっていて、誰もブレーキをかけずに突き進んできたからやり切れた」と振り返る。またボランティアを募集するとすぐに集まったといい、「市民が中心となって街づくりをしてきた新百合ヶ丘だからこそ成功した」と話す。板橋さんも、「麻生区は市役所本庁から電車で約1時間かかる。行政に頼るのではなく自分たちで何とかしよう、という雰囲気が市民にはある」と感じている。

2009年には3人を中心にNPO法人「しんゆり・芸術のまちづくり」を設立。地域イベントなどを主催する「新百合ヶ丘エリアマネジメントコンソーシアム」と連携して「kirara@アートしんゆり」や「しんゆりフェスティバル・マルシェ」などを運営し、街の盛り上げに貢献している。岩倉さんは、「始めたときは勢いで何とかなったが、維持していくにはとてつもない労力がいる。継承していくために若者を取り込んでいかなければならない」。白井さんも、「2028年の地下鉄延伸が盛り上がるチャンス。"第3の街びらき"と捉え、若い世代に新百合ヶ丘の魅力を伝えていきたい」と将来を見据える。地域を愛する者たちの想いから始まったイルミネーションは、今も駅前を温かく照らしている。

(宮原 颯太)


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