今村雅弘復興大臣の失言。損得勘定で災害を語るな。
2017年04月26日東海大学文学部広報メディア学科2年 猪股修平
怒りが冷めやらぬ中でこれを書いている。
4月25日、今村雅弘復興相(当時)が所属する自民党会派のパーティで講演し、東日本大震災について次のように述べた。
(※以下の発言は25日に放送されたNHKニュース7の映像から聞き取った今村氏の発言をそのまま文にしたものである)
「社会資本等のですね、毀損もですね、いろんな勘定のしかたがございますが、25兆円という数字もあります。これはまだ東北でですね、あっちの方だったからよかった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったという風に思っております。」
前後の文脈を知るまでもなく、この発言だけでも言語道断である。
被災地の復興を担うべき政府機関の長の発言とは思えぬ。
釈明の内容もひどい。講演後の記者団からの取材の場で
「東北でもあんなにひどい、25兆円も毀損するような災害だった。ましてやこれが首都圏に近い方ならもっととんでもない災害になっているだろうという意味だ」
などと述べている。
当然のごとく、今村氏は即日辞任した。
今村氏は今月4日の記者会見でも、福島第一原発事故の自主避難者について「本人の責任」と述べ、物議を醸していた。一連の発言から東北を蔑ろにしている印象が伺える。
そういえば阪神淡路大震災の時も「東京で起きなくてよかった」という旨の言葉をテレビのコメンテーターが発言していた。
中央官庁や人口が集中する首都圏で災害が起きることに不安を抱く気持ちは分かる。
しかし、地方で起きた災害に対し「我が身に関せずよかった」といった発言は、時として災害で大切な人やものを亡くした人を侮蔑することにもつながりかねない。
まして、今回の今村氏の発言は政府の要人によるものだ。
悪意がなかったにせよ、地方の災害だから経済損失が少なかったという旨の発言を聞いた被災地の人々がどう思うのかを忖度することはできなかったのか。
確かに被災地の一部地域ではインフラ整備や復興住宅の建設が進んだ。観光業もある程度勢いが戻りつつ地域もある。それを「復興」と表現するときもある。
それでも、経済的復興はできても心の復興は道筋すら見えない。
震災は経済の動きを奪っただけではなく、人の心も取り返しのつかないところへ持っていったのだ。
損得勘定で「東北だからよかった」と短絡的に発言した今村氏の落ち度は極めて大きいだろう。
ところで、私は仙台で生まれ育ってきた。だから東北の者として言いたいことがある。
東北地方は昔から「白川以北一山百文」と言われ、福島県白河市より北、つまり東北地方一帯は一つの山でも百文(1000~2000円程度)の価値しかない荒地ばかりと揶揄され、そこに住む者たちも卑下されてきた。
30年程前には、飲料会社の社長が「東北は文化的程度も極めて低い」と発言したこともあった。
確かに東北地方は田舎だ。冬は極寒で大雪が降り、夏は意外と暑さが厳しい。
そんな気候のせいか人口も極めて少ない。歴史的観点から見ても、東北が栄えてきた時期は他地域よりも遅れている。飢饉や天変地異が度々起こり、貧しさに喘ぐ時代もあった。
それでもそこで暮らしてきた人がいて、今を生きている人がいるのだ。どうか、それを忘れないでほしい。
私自身も震災以降「東北が復興しても所詮は田舎だ」「東北の津波の映像は観ていて面白い」といった心無い言葉を聞いてきた。
考えてほしい。あの日失われたものが何であったのか。そしてその災害が自分事になったときどのように身を守るべきか。
復興大臣が変わった今、単なる政治的事案ではなく、災害や地方と向き合う一つのきっかけとなることを願うばかりである。