被災地の未来を考える

2019年01月11日東北芸術工科大学 デザイン工学部 企画構想学科3年 菊池みなと

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私の名前である「みなと」は、宮城県石巻市湊(みなと)地区で生まれたことから名づけられた。由来を口にすると、静かに波打つ海の音、石巻川開き祭りの花火、1人で暮らす祖母の姿を思い出す。大切な故郷だ。

2011年3月11日に発生した東日本大震災で、祖母の自宅が津波の被害に遭った。震災直後に現地を訪れたときの衝撃は、今でも鮮明に覚えている。変わり果てた町を見るのが怖く目を背けてきたが、大学生になり故郷を訪問する中で、精いっぱい生きる人々に力をもらった。

「当事者ではない自分に出来ることは何か」。復興の現状を確かめようと、故郷・石巻市の新聞社でインターンシップに参加をした。復旧工事が進む町を眺めながら、市民の方々の温かさに触れる日々。悲しみを乗り越え、力強く歩みを進めていると実感した。

市内を一望出来る日和山を訪れた際、インターンシップでお世話になった記者が話をしてくれた。宮城県女川町に住む20歳の少年を取材したときに言われた言葉が、強く印象に残っているという。

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▲日和山から見た石巻市内の景色。現在も復旧工事が行われている。(筆者撮影)

「震災のことは絶対に忘れないでほしい。けれど、復興に向かって進んでいることは確かなのに、これから先も被災地、被災者と言われ続けるのは正直嫌です」

災害の記憶は決して風化させてはならないが、その反面、暮らす人々は複雑な心境を抱える。地域のコミュニティーづくりと共に、葛藤に寄り添う「心の復興」の必要性を痛感する。

石巻市では現在、心の復興事業として、被災した自宅に住み続ける石巻地方の在宅被災者に交流の場を提供する「お茶っこバス」の活動が行われている。サロンに仕立てたバスで各地を巡回するもので、昨年末で7年目を迎え、開催は800回を超えた。在宅被災者と災害公営住宅の住民の交流は広がっているが、コミュニティーはうまく機能していない。住民同士が、悩みや思いを気軽に話せる空間を増やす取り組みがさらに必要だ。

震災発生からまもなく8年。震災復興基本計画は、最終ステージ「発展期」の2年目に入る。ハード面だけにとどまらない、これからの復興。身近な当事者の有無に関わらず、多くの人に被災地の未来を考えてほしい。

  • 参考文献:河北新報 2018年12月31日付朝刊「在宅被災者つなぎ7年目」

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