■第2回 "芸術のまち"彩る「映画大学」

2022年02月15日東海大学 笠原研究室

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第2回は、新百合ヶ丘駅が位置する川崎市麻生区の小学生が映画作りに挑戦する「こども映画大学」と、この取り組みを支える日本で唯一の映画の単科大学「日本映画大学」という、「2つの映画大学」についてお伝えします。

(東海大学 文化社会学部 広報メディア学科 笠原研究室)

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「こども映画大学」で、カチンコに撮影場面の情報を書き込む参加者たち(日本映画大学提供)

夏休みの3日間、麻生区在学・在住の小学4~6年生40名が日本映画大学のキャンパスに集まる。同大の教員や学生に教わりながら映画制作の工程を体験し、最終日の4日目には駅前の「イオンシネマ新百合ヶ丘」大スクリーンに家族を招待して完成作品の上映会を行う。この「こども映画大学」は、毎年多くの申し込みが集まる人気プログラムだ。コロナ禍で一昨年と昨年は中止になったが、名称や実施形態を変えながら約10年間も続いてきた。

「日を重ねるごとに成長した姿を見ることができる」と目を細めるのは、プログラムを所管する同区役所地域ケア推進課の白勢香菜子さん(44)だ。約3分間の映像作品を作るために、一日約7時間の作業を3日間続ける。シナリオ作りや役割分担の段階から子どもたちが中心となり、撮影や編集もプロ用の機材を使って子どもたちが行う。「多くの人と協力しながら一つの作品に仕上げていく大変さや楽しさを体験することで、仲間と協力することの大切さを学び、さらに芸術作品に対する敬意も育まれる」と白勢さんは力を込める。俳優や監督といった目立つ役割だけでなく、撮影シーンの内容を記録する「スクリプター」なども子どもたちが担当する。撮影場面の情報が書き込まれた「カチンコ」を打つ係を任された子どもは当初、気が進まない様子だったが、作品制作を通じて意識が変わり、上映会の舞台では「目立たなくても大切な役割があることを知りました」と胸を張って発表したという。

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「こども映画大学」の意義について話す白勢さん(左)(1月13日、佐藤梨穂香撮影、麻生区役所で)

子どもたちの学びをサポートするのが、日本映画大学の学生だ。裏方役の子どもたちの活動も丁寧に記録したメイキング映像を作成し、上映作品と一緒にDVDに収録して参加者に届けるという。「日本映画大学とイオンシネマのご協力のおかげで、子どもたちはこの街ならではの貴重な体験ができる」と白勢さんは語る。

この日本映画大学の源流は、「楢山節考」(1983年)と「うなぎ」(1997年)で2度のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した世界的映画監督、今村昌平が1975年に開校した「横浜放送映画専門学院」にある。今村が開校に込めた意図について、同大のウェブサイトは「かつては映画人の育成は撮影所が行っていた。しかし撮影所にもうその余裕はなく、映画を志す若者たちの行き場がなくなっていたのである。今村が目指したのは映画人による実践的な映画教育だった。『既成のレールを拒否し、曠野に向かう勇気ある若者たちよ、来たれ!』という呼びかけに全国の若者たちが集まった」と説明する。1986年に3年制の専門学校「日本映画学校」として新百合ヶ丘駅前に校舎を移し、2011年に現在の4年制大学となった。この間、6500人以上の卒業生を映画業界に送り出してきたという。映画監督では、三池崇、李相日、中野量太、芸人ではウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)、出川哲朗、バカリズムら。ジャンルの枠を超えた卒業生が活躍しているのは、常識にとらわれない創始者、今村昌平の建学理念と精神が生きづいているから、とみることもできる。

「多角的に物事を見られるような人材の育成が、就職先のニーズに応えることにも繋がる」と話すのは、同大で学生支援部部長を務める大八木勉さん(45)だ。1年時に全員が同じカリキュラムを学んで基礎を固め、2年時に演出系・技術系・文章系にコースが分かれる。演じるという行為一つとっても、監督、脚本それぞれの立場で考えられる人材を育成するカリキュラムだ。卒業制作の作品は毎年、イオンシネマで上映し、作品制作への協力者だけでなく地域住民にも無料で一般公開している。学生映画は商業映画と違い、つくって満足してしまう傾向があるが、同大では「つくって終わりは映画の死、観客なくして映画なし。映画は観客に届けられて完成する」をスローガンに制作・宣伝・配給・公開までを授業で行うという。大八木さんは「作ったものは必ず完成させ、一般の方に見ていただいて評価を得るのが礼儀。独りよがりではない制作・表現を目指してほしい」と狙いを語る。

同大が新百合ヶ丘駅前に移転してきた背景には、麻生区の"芸術のまち"づくりを推進する川崎市と小田急電鉄による誘致があった。それから36年。この間、「KAWASAKIしんゆり映画祭」、「川崎・しんゆり芸術祭」、そして「こども映画大学」など、地域と連携して街づくりを担ってきた。同大理事の福田豊治さん(62)は移転当時を「駅周辺の開発初期で、何もないところからのスタートだった」と話し、「映画を通じて、"芸術のまち"の発展、街の彩りに寄与してきた」とこれまでの歩みを振り返る。駅前のキャンパスが隣り合う昭和音楽大学とは交流を推進する包括的連携協定を締結しており、実習系の授業を合同で行うこともある。卒業制作の作品に、昭和音大の学生が楽曲を提供することもあるという。

新百合ヶ丘駅のペデストリアンデッキには、ロケを行う映画大の学生や、大きな楽器を抱えて行き交う昭和音大の学生の姿がよく似合う。「こども映画大学」に参加した小学生の中にも、こうした学生に憧れる子どもがいるに違いない。

(増田 祥太)


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