■第5回 地下鉄延伸は好機?危機? 再び迎える分岐点
2022年03月29日東海大学 笠原研究室
第5回は、横浜市営地下鉄の延伸が持つ意義と街づくりへの影響についてお伝えします。
(東海大学 文化社会学部 広報メディア学科 笠原研究室)
「横浜市営地下鉄 あざみ野―新百合 延伸へ」このビッグニュースが2019年元日の神奈川新聞の1面トップを飾った。延伸の早期完成を求める期成同盟会の設立総会も同月末に行われ、会場はこの話題で持ちきりに。「やっとスタートラインにつけた」。会の事務局長だった日本映画大学理事の福田豊治さん(62)は、喜びをかみしめるメンバーを見ながら安堵感に浸った。
麻生区にとって、新百合ヶ丘駅への他線の乗り入れは悲願だった。川崎市の北西端に位置する麻生区は神奈川県内の他都市、特に川崎市中心部や横浜市へのアクセスに課題を抱えている。2001年には川崎駅から新百合ヶ丘駅までの区間を地下鉄でつなぐ「川崎縦貫鉄道計画」が事業許可を受けたが、財政負担の重さなどから2018年に計画廃止が決まった。
高齢化率が23.9%(2020年10月現在)と、川崎市の全7区で最も高い麻生区。もっとも低い中原区の15.4%(同)とは10ポイント近い開きがある。1974年の新百合ヶ丘駅開業と同時に移り住んできた層の高齢化が進んでおり、世代交代が喫緊の課題だ。福田さんは、「若い層や学生がより利便性の高い他都市に流れ、さらに高齢化が進んでしまう」と危機感を募らせていたという。
そこで地下鉄延伸へ向け、積極的な動きを見せたのが教育関係者たちだった。麻生区内にキャンパスがある日本映画大、昭和音大、田園調布大、明治大、桐光学園の代表者らが地下鉄の早期延伸を求め、2018年1月から署名活動を開始。2か月後には約7500筆の署名を集め、川崎市議会へ請願活動を行っていた。
だが「本当のスタートはここから」と話すのは、麻生区役所まちづくり推進部の石川武彦さん(49)だ。「延伸によって利便性が増す分、他都市へ出ていく人も増えるだろう」と分析し、「他の街との差別化を図ることも重要な課題。新駅の用地取得もまだで、これからが正念場だ」と表情を引き締める。計画が具体化していないからか、駅前で不動産業を営む男性は「具体的な発表がないから未来図を描けない。お客さんからの問い合わせもまだほとんどない」と首をかしげるなど、地元が盛り上がりを欠いているのも事実だ。
一方、カレー店「チェリーブロッサム」を営む松井惠美子さんは、地下鉄延伸に期待を寄せる。駅構内エスカレーターの下、という意外な場所にある人気店だ。余計な油と防腐剤を一切使わず、コクとまろやかさを追求した「体に良い欧風カレー」と「ビーガンのハーブカレー」を提供する。一口食べると、じっくり煮込まれた国産和牛と野菜の濃厚なうまみが口全体に広がる。それでいてくどくなく、さっぱりとした食後感。この味を求める根強いファンに支えられ、今年で24年目を迎える。「ペデストリアンデッキと緑は、気品あるこの街のカラー。このくつろげる空間で、チェーン店では出せない手間と素材にこだわったカレーを提供したいって思った」とオープン当初を振り返る松井さん。「地元商店街、市民の皆さま、そして小田急電鉄が一体となって作り上げてきた街。地下鉄延伸は、この街の魅力をより多くの人に伝える絶好のチャンス」と確信している。
新駅開業が予定されている2028年へ向け、NPO法人「しんゆり・芸術のまちづくり」理事長の白井勇さん(67)は「街をアップデートしていく必要がある」と語る。ここ数年は子育てがひと段落した母親たちが街の活動に参加してきており、街づくりの担い手にも世代交代の兆しが徐々に見えているという。「地下鉄の開業までに、ファミリー層に移住してきてもらえるような魅力を創造していかなければ」と話し、工場やオフィスの誘致、豊かな土壌を生かした農業のブランディングなど、活性化の可能性を多方面から探る。「地下鉄延伸を足掛かりにビジネスモデルを作り上げ、より魅力的な街づくりを進めていきたい」と意気込んでいる。
48年前に山を切り開いて生まれた新百合ヶ丘駅。この「第1の街びらき」から20年後、開発がひと段落した90年代は住民に停滞期と映った。だが、市民による芸術活動の拠点「川崎市アートセンター」開館や昭和音楽大学のキャンパス移転などが重なった2007年を住民は「第2の街びらき」と捉え、"芸術のまち"として地域活動を活性化させた。2011年に4年制大学に移行した日本映画大学も、国内で唯一の映画の単科大学として新たなキャンパスを整えた。そして地下鉄の延伸。高齢化の進む「しんゆり」にとって、横浜市内との直結は"第3の街びらき"となり、その魅力を若い世代に伝える好機にできるのか。いま、「これまで」と「これから」の分岐点に立っている。
(宮原颯太、戸森生実)