右翼活動に身を投じる若者たち~青年右翼活動家ルポ~②

2023年02月13日東海大学 笠原研究室

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民族派右翼団体「政治団体 政道會義塾」齋藤琉生(19歳)

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JR有楽町駅前でマイクを握る齋藤さん(2023年1月21日)

「政治団体 政道會義塾 行動隊長」。齋藤琉生(さいとう・るい)さん(19)が差し出した名刺には、そう書かれていた。東京都昭島市内のハウスクリーニング会社に勤務するが、毎週土曜日はJR有楽町駅前でマイクを握り、街頭演説を行う。訴えるテーマはいつも直前に決めるという。「戦後自虐史観の打破、中国共産党による海洋進出の脅威、台湾有事の危機、北朝鮮による拉致問題......。いかに今の日本という国の時局を共有してもらえるか」。通行人の様子を見て、テーマや話し方を変える。「有楽町は上品な方が多く、若者言葉を使うと受け入れてもらえない。原宿は若者が多いから、SNSでの話題から時局の問題に繋げていく」。若者の目を政治に向けさせる「愛国運動の大衆化」、それが齋藤さんにとって最も重要なテーマだという。「同世代の若者に、政治というワードに興味をもってほしい。10~20年後の日本はどうなるのか、危機意識を若者と共有したい。自分たちの活動に否定的な人もいる。それでも、興味を持ってもらい新しい日本を作っていきたい」。

東京都昭島市出身で、自宅は在日米軍横田基地の近く。空を見上げれば米軍の輸送機が毎日飛行する環境で育った。「うるせえな、とは思っていた」。だがそうした漠然とした反発が政治行動に結びつくことはなく、中学・高校までは「やんちゃな遊び」に没頭した。「悪いことがかっこいいと思っていた。男だったら強く生きなきゃいけない、と」。

その齋藤さんを大きく変えたのが、上司の誘いだった。「右翼に興味ないか」。就職して約1か月後、勤務先が開いたBBQの最中だった。その場所が、後に所属することになる政道會義塾本部だったことは後で知った。その誘いに、「楽しそうだな、と思った」。もともと右翼に興味はあったという。「黒塗りの街宣車、威圧感。悪かった人間なので、イメージがかっこいいと」。そんな人たちが、なんでこんなに北方領土について熱く訴えているのか?「とりあえず読んでみるか」。右翼の先輩が勧める本を読むことから、齋藤さんの活動が始まった。

戦時中の歴史、極東国際軍事裁判、東条英機らA級戦犯......。「あれ、中学で教わったのと違う?とたくさんの"?"がついた」という。先の大戦は侵略戦争ではなく、白人至上主義からアジアを解放する戦争だったのでは?日本人は悪いことをした、と教わってきたけどそうなのか?GHQによる日本弱体化によって、嘘の歴史を教え込まれてきたのでは?約3か月間の準備期間で、齋藤さんは「右翼は日本を良くするために活動している。気がついた自分が、率先してやらなければならない」という結論を出した。

最初に街頭演説でマイクを握ったのは2021年11月中旬、JR小岩駅前で他の右翼団体と合同でおこなった街頭演説会だった。「拉致されて四十数年が経っている。日本人が興味を持たず風化していっている。日本人が一丸となって取り組まないといけない」と訴えた。「最初はやっぱ緊張した。遊びたいし、やめようかと思うこともあった。それでも続けているのは、この日本という国を永久に残していかないといけない、という危機感があるから」。そうして活動家の一人として右翼運動の世界に定着していった。「礼儀や仕草、作法も学んだ。厳しい世界なんですよ」という。有楽町だけでなく、毎月第3土曜日は新宿駅西口で開催される演説会「社会の不条理を糺す会」にも参加する。

定期的な街頭演説に加え、大使館への抗議活動も行う。例えば2022年10月9日、齋藤さんは他の活動家とともにロシア、中国、韓国の各大使館および朝鮮総連などを回り、北方領土問題や台湾有事、慰安婦問題、北朝鮮によるミサイル発射などの問題について街宣車から抗議した。午後には原宿・竹下通りへ車を回し、18歳、19歳、27歳と若手活動家3人で若者に訴えかけた。

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東京・有楽町の喫茶店で取材に応じる齋藤さん(2023年1月21日)

昨年4月には、東京都国立市で開催された「表現の不自由展」に対する大規模な抗議活動にも参加した。大雨が降る中で街宣車を降り、機動隊員に囲まれながら、会場の周辺を覆うバリケード前まで拡声器を持って迫った。当時はまだ18歳。坊主頭を濡らしながら訴えた。「左翼は慰安婦像などをつくって歴史問題を捏造している。だから僕はそれに対して訴えた。僕は暴力を否定しないし、血を流す覚悟を持っている」という。

他方、「愛国運動の大衆化」のためには、もっと若者に受け入られるために右翼も変わる必要がある、と訴える。「右翼イコール怖い、というイメージ。そこを払拭したい」。一昨年には街宣車の色を黒から白に変えた。SNSを使った情報発信にも力を入れている。一部の右派による、在日韓国・朝鮮人などに対するヘイトスピーチに対しても「在日だから何だというのか」と一蹴し、「中国人とのハーフの友達がいる。祖国の事が嫌いで日本にいるなら大歓迎ですよ」という。「日本人、大和民族が一致団結して自虐をどう打破していくのか、国民全体が動けるのかにかかっている。政治に対して興味を持ってもらい、日本に迫る危機を知ってもらう。そのための土台になりたい」。

右翼は街宣車で軍歌を鳴らしたり、怒鳴り散らしたりすることが目的なわけではない。自身の憂国の情、そして使命感に、齋藤さんは衝き動かされていた。

(東海大学笠原研究室 倉元真生)

【齋藤琉生さん】

平成15年※11月生まれ。東京都昭島市出身。趣味はドライブと音楽を聴くことで、好きなアーティストは逗子三兄弟、工藤静香、北島三郎など。好きな食べ物はハンバーグ、尊敬する人物は三島由紀夫。※本人は「和暦に強いこだわりがある」とのことでしたので、西暦は記しませんでした。


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