右翼活動に身を投じる若者たち~青年右翼活動家ルポ~③
2023年03月04日東海大学 笠原研究室
「日本国民党」九十九晃(24歳)
(おことわり)
今レポートでは右翼活動家である九十九晃氏の言動の実態や思想背景を読者に正確に知っていただくため、ヘイトスピーチを含む内容をそのまま掲載しています。
「九十九晃(つくも・あきら)」は、政治活動を始めた16歳から使っているハンドルネームだ。Twitterのフォロワー数は4400人(2023年3月1日現在)で、「行動保守の若手リーダー」と評されることもある。その九十九さんが様々な意味で注目されたのは2018年11月、ドームツアーで来日したK-POPアイドル「防弾少年団(BTS)」に対して行った抗議活動だった。
メンバーが過去に、原爆のキノコ雲がプリントされたTシャツを着たり、韓国側が「独島」と呼ぶ竹島について「誰がどれだけ自分の領土だと言い張ろうとも 独島は我が領土」といった歌詞を含む曲を歌ったりしたことが、日本の右派の強い反発を招いていた。「竹島を日本領土だと言えない韓国人は来るな!」九十九さんが拡声器で主張すると、「カウンター」と呼ばれる反対勢力約10人が大音量で「ヘイト(スピーチ)やめろ!」「差別すんな!」と叫び、サイレンを流す。その周囲を警官や警備員など約30人が囲み、武力衝突に発展しないか警戒するなど、ライブ会場の一角は異様な雰囲気となった。この抗議活動は「Yahoo!」のリアルタイム検索で3位にランクインした。
九十九さんは当時まだ20歳だったが、既に政治活動歴は4年に及んでいた。「在日特権を許さない市民の会」(在特会)に、高校1年生で参加したのが始まりだった。警察庁が国内過激派などの動向を分析した『治安の回顧と展望』2014~17年度版で、在特会は「極端な民族主義・排外主義的主張に基づき活動する右派系市民グループ」の代表として挙げられている。例えば2009年、在特会の幹部が朝鮮学校にヘイトスピーチをしたとして名誉毀損罪に問われ、最高裁で有罪判決が確定している。
その在特会でかつて活動していた経歴から、九十九さんはカウンターに「レイシスト(人種差別主義者)」と激しく罵倒されることが度々ある。こうした批判に対し、「少なくとも僕自身の主張として、在日韓国・朝鮮人であることを理由に日本から出ていってほしいと言ったことは、ただの一言もない。全く思っていない。弱い者いじめに見えることは、僕はやらないです」。竹島の領有権、慰安婦、徴用工、拉致など、韓国・北朝鮮と日本との政治問題について相手国の立場に抗議している、というのが九十九さんの主張だ。
他方、「問題を国民に認知してもらうため、過激な言葉や直接行動は"必要悪"です」とも話す。実際、九十九さんの運動の特徴は、街頭宣伝に止まらない過激な直接行動だ。例えば近年は以下のような活動を行ってきた。
・2020年6~7月:インターネット番組で「日韓断交とか言っているバカな右翼の人」と発言した経済評論家に抗議するため、日韓国交断絶を訴えるビラ約1000枚を3日間にわたり、この評論家が住むマンションとその周辺の約70棟に配布する。
・2021年6~7月:住宅街にある山口那津男・公明党代表の自宅前で2度、拡声器を使って街頭宣伝を実施。当時、中国の新疆ウイグル自治区などでの人権侵害に対する非難決議について同党と自民党が協議しており、「ウイグル、チベット、南モンゴル、香港、台湾を見殺しにするな!」「中国共産党に媚びる公明党は日本にいらない!」と批判する。
・2022年9月:明治神宮外苑の再開発に伴う樹木伐採に反対する嘆願書を渡すため、事業者である三井不動産の岩沙弘道会長、および伊藤忠商事の岡藤正広社長の自宅を訪問、岩沙会長の夫人に嘆願書を直接手渡す。
直接活動を行う理由について九十九さんは、「プロセスを踏んでいる。企業や党本部に対話を申し込んで、拒否された。だったら代表者の自宅に直接、行くしかない」と説明する。「これまでの保守は、勉強会や講演会などで満足してきた。『語る運動』から『行動する運動』に転換しなければいけない。既存保守へのアンチテーゼが『行動する保守』運動だ」。
こうした活動の根底に、何があるのか。「自分でもよくわからない。直観に従って行動しているだけ」と九十九さんは話す。ただ、ここに至るまでの半生は、凄絶とも言えるものだった。
九十九さんの父親はアルコール中毒者だった。休日はバーベキューやショッピングモールに連れて行ってくれるなど、家族サービスに努める優しい父親だった。が、酒を飲むと豹変し、暴力や暴言を九十九さんや母親に加えた。ベランダに一日中放置されることも度々あった。耐えかねた母親は離婚し、当時小学2年生だった九十九さんと妹を連れて、それまで住んでいた兵庫県宝塚市から、実家のある鳥取県米子市へと引っ越した。約1年後、母親は夫と復縁し、再び宝塚市に戻る。始めは優しかった父親だが、しばらくすると再び暴力を振るい出した。酒量も次第に増え、DVがさらにエスカレートしていったことから、高校1年生の夏、今度は島根県松江市に住む母方の親類に1人だけ引き取られた。松江での暮らしは1年と続かなかった。翌年5月、父親がこの親類宅に乗り込み、親権を強硬に主張して九十九さんを宝塚に連れ戻したからだった。
母親は九十九さんが松江にいる間も、夫のDVについて役所に相談し続けていたのだろう。宝塚に戻って数週間後、遂に兵庫県女性家庭センターが保護措置を執行。母親、妹と共に3人で神戸市内のDVシェルターに入った。その後、今度は母親との関係が悪化し、九十九さんは同県内の児童福祉施設や一時保護所を転々とした後、神戸市内の「自立援助ホーム子供の家」に移る。児童養護施設を退所した子供たちが、働いて得た収入からホーム使用料を払いながら共同生活を送る施設だ。使用料は月額3万円。20歳までいられるが、18歳で東京に行くと決め、ラーメン店などで昼夜を問わず働き退所後の生活費を貯めた。この間に松江の高校は中退せざるを得ず、学校に通う余裕などなかったという。そして18歳の誕生日から4日後に上京、契約社員や専門紙の記者などを経て、現在は政党「日本国民党」鈴木信行代表の事務所スタッフなどをしながら政治活動を行っている。
政治活動に足を踏み入れる大きなきっかけとなったのが、松江の親類宅での生活だった。宝塚の家族から1人だけ引っ越し、高校も県立高校から松江の私立中堅校に編入せざるを得なくなった。「人間関係が全部リセットされた。友達と遊んでいた時間ががっぽり空いてしまった」。時間を埋めるように、父親が買ってくれたiPhoneでインターネット上の右派言説にのめり込んでいく。そこでは在日韓国・朝鮮人に対して「生活保護で優遇されている」「逮捕されても実名が報道されず犯罪を助長している」「医療費や水道費が無料」「公務員やマスコミに優先的に就職できる」といった荒唐無稽な主張が繰り返され、「日本を蝕む在日特権」など憎悪を煽るデマ表現に満ちていた。九十九さんも染まり、Twitterで「在日特権」批判を繰り返すようになった。「見せられないくらいひどいもので、8割くらい消した」と今は苦笑交じりに振り返る。「事実に基づかないネトウヨ言説の虚構性を見抜けなかった」。
そこに竹島問題が結びついた。松江駅を降りれば啓発看板や資料館が並んでおり、「生の竹島問題に触れた」。もともと歴史への関心は高く、また中学校では図書室の本をすべて読破するほどの本好きだったという。調べるにつれ「なぜ国ではなく、県が主体となって問題に取り組んでいるのか」と疑問が募り、「在日特権」批判から派生した韓国への敵愾心を増幅させる"燃料"となった。島根県が「竹島の日」と定めた2月22日に合わせ、韓国の政治団体会長が領有権をアピールするため来日することを知り、抗議活動への参加を決意。主催団体「八百万の会」に連絡すると、それは「在特会」広島支部の支部長だった。
それまで在特会については全く知らなかったという。「連絡先がたまたま在特会だった、というだけ」。参加するには会員でなければならないため入会し、現場に着くと、圧倒された。「中国地方の機動隊が大勢集まって、抗議する保守側・右翼側も100人近く集まっていた。もみくちゃにされた。まさに政治の現場で、興奮した」。在特会の当時の副会長に「島根支部の運営にならないか」と誘われると、二つ返事で引き受けた。カウンターとのトラブルを避けるためハンドルネームを使うことを勧められ、主催団体の「八百万」から数字の連想で「九十九晃」と名乗るようになった。2015年2月、高校1年生の冬だった。
在特会は「運営方針や運動論を巡る違いから」2016年6月に脱会したが、その翌月、九十九さんが現場責任者として開催した街宣「大嫌韓街宣in大阪☆リベンジ!☆」には同会の元幹部らが参加し、「竹島返せ!韓国出ていけ!」とシュプレヒコールを上げた。4年後の2020年10月、この活動はヘイトスピーチにあたると大阪市に認定される。審査した有識者審査会は、「在日韓国・朝鮮人に対する憎悪または差別の意識をあおることを目的として行われたものであることが明らか」と結論づけた。
活動は政治問題にとどまらない。2018年、東京都・南青山に児童相談所が建設されることが発表された。虐待を受けた子どもの一時保護所や、養育が困難な母子家庭の生活支援施設が入る計画で、「南青山のブランドイメージにふさわしくない」など一部の住民から反対運動が起きた。九十九さんが反対グループの事務局に電話をすると不動産会社につながったという。「地価の下落を懸念した不動産業者が騒いでいるだけ。反対している地元住民はほとんどいない」と結論。「施設出の青山歩き」というプラカードを作り、「南青山に建てて何が悪い!」「高級住宅街にこそ、愛の手を!」と拡声器で主張しながら練り歩き、この不動産業者に抗議した。施設は2021年4月、無事に開所した。九十九さんは「こうした施設で救われる命は本当にあると思っている」と話す。なお、DVやいじめの相談を受けて支援施設を紹介する活動も約7年間続けており、昨年4月にはNPO法人として登録している。
初めてデモに参加した高校1年生の冬から、8年が経った。現在「情報宣伝局員」を務める日本国民党は、「わたしの町から日本を守る」をスローガンに掲げる。代表の鈴木信行氏は2017年から東京都葛飾区の区議を1期務め、党員の石本崇氏は昨年10月の山口県岩国市議選で6期目の当選を果たすなど、地方議会に進出している。九十九さん自身、「政治家になることが目的ではないが、手段の一つとして可能性は排除しない」という。「自分の声を確実に届けたい。社会を変えなければ意味がない。行政交渉の相手も、一般職員ではなく役職クラスでないと話が進まない。責任者でなければ満足しないということを、今後も行動によって示していく」。
「レイシスト(人種差別主義者)」と市民やカウンターから激しく罵倒されながら、なぜ過激な運動を続けるのか。「きれいごとはいくらでも言える。でも社会は一向に良くならない」という九十九さんの言葉に、全て集約されている気がした。
(東海大学笠原研究室 倉元真生)
【九十九晃さん】
1998年8月生まれ。兵庫県宝塚市出身。「日本国民党」情報宣伝局員。「アジア民主化運動」事務局。「民族自警団日本暁乃会」会長代行。NPO法人理事長。趣味は読書と「最近流行りの映画を観ること」、加えてスイミングで「ストレスの発散には一番」。好きな食べ物は「パクチーが苦手でそれ以外なら何でもOK」とのこと。好きな言葉は「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」。