多摩市の「シビックプライド」<前編>
2023年06月30日多摩市若者会議チーム
高野義裕さんへのインタビュー
突然ですが、「I ♡ NY」(I love New York! )、こんなデザインのTシャツやマグカップ、皆さんはどこかで見たことがあるのではないでしょうか?これは、「シビックプライド」を代表するデザインの一つです。
「シビックプライド(Civic Pride)」とは、一般に「都市に対する市民の誇り」と訳されるもので、"市民一人ひとりが地域に誇り(プライド)を持つことは、その地域の発展につながる"という考えのもと、地域振興や都市再生の分野で近年注目されている概念です。
例えば、自己紹介で「ニューヨークで仕事をしています」とか「港区に住んでいます」と聞くと、それだけで「あ、お金持ちなのかな?」「すごい人なのかな?」などと思うのではないでしょうか?これは、「ニューヨーク」「港区」という都市の名前に一種のブランドイメージがついているからであり、多くの場合、そういった自己紹介をする人は、自分がそこで暮らし、仕事をしていることに"自負心"を持っているのではないかと思います。そういった都市には自然に人々が集まるようになり、地域経済は発展していくことでしょう。これが「シビックプライド」における「誇りや自慢的要素のシンボル化」とされる部分です。
ただし、その都市がどんなに有名だとしても、それが単なる"自慢"で終わってしまえば、あまり良い印象は与えないでしょう。ただ"自負心"を持っている、というだけでは本当の意味で「シビックプライド」を持っているとは言えないのです。そこで「シビックプライド」にはもう一つの重要な視点が求められることになります。それは「市民意識の育成」という要素です。
「I ♡ TAMA」というTシャツはないかもしれませんが、多摩地域にも独自の文化や強みがあるはずです。多摩地域における「シビックプライド」とは、果たしてどのようなものなのでしょうか?
◎前編
・多摩ニュータウン
今回のインタビューでは、この「シビックプライド」について、合同会社MichiLabの代表である高野義裕(たかの よしひろ)さんにお話をうかがっていきたいと思います。
多摩市は東京都の中心部に位置し、東京のベッドタウンとして開発された地域です。また、京王線、京王相模原線、小田急多摩線、多摩都市モノレールの4本の鉄道が乗り入れており、都心部からもアクセスしやすい地域です。ちなみに、多摩市は市の面積に占める都市公園の比率が都内でトップクラスであり、全天候対応型のレジャー施設「サンリオピューロランド」があることでも有名です。
ただ、多摩市は、子育てのしやすい環境である反面、約30~50年前に作られた団地や住宅地が市内の多くを占め、高齢化が急速に進んでいます。
高野さんは、私たちと同じ「多摩市若者会議」に所属し、黎明期から今に至るまでの約7年間、活動を牽引してこられました。また、高野さんには、会社員として都内の企業に勤める傍ら、「多摩市若者会議」から法人化した「合同会社MichiLab」の社員として活動する一面もあり、多摩市からの仕事を受託することで、同団体が運営する「MichiCafe」や「多摩市若者会議」のサポート・運営を行っています。
そんな高野さん、どのようにして「多摩市」という土地にご縁が生まれていったのでしょうか。きっかけは小学生の頃にありました。
高野「小学校2年生のころから、大学を卒業するまで多摩市にいました。今、働いている会社に就職して多摩を離れて1人暮らししていました。結婚するときに妻に『多摩ニュータウンに戻りたい』と提案をしていたんですけど、なかなか認めてもらえなくて...」
伊藤「それはどういった理由で?」
高野「妻から見て全く縁の無い地域に住むのはちょっと不安だという事。秋の紅葉が綺麗な時に多摩市に連れてきて景色見せるとか、妻に多摩の魅力を伝えました。」
伊藤「めっちゃ健気(笑)」
浅野「すごい頑張りましたねぇ」
そして今から10年前、念願だった多摩ニュータウンに戻り、今に至るとのこと。10年間の多摩の外の地域での暮らしと今の多摩市の暮らし、2つを比べるからこそわかる多摩ニュータウンの良さがあるそうです。
高野「やっぱり多摩市って『市民活動が盛んだ』とか、地域の事に関心を持って自分たちで地域の取り組みをしていくという動きが自然発生的に起こっているということは他の地域では普通ではないんだという事。(自分の住んでいた時の)埼玉では地方と一緒で自治会とかがあって組織構図がピラミッド状になっているんですよね。そこに入れないとなると例えば、震災時の避難場所のマップなどが家に届かない。ゴミ収集所の利用も制限が掛かるとかいう地域もあるそうで。住んでいたその時は市からの便り・広報誌が届かないし、防災用品も届くことはなかった。じゃあ自治会に入れるかというと大家さんからの紹介がないので...自治会に入るチャンスがないですね。あと、震災後の対応などを見ると尚更多摩市に戻りたいと思いましたね」
高野さんは、多摩を離れる前にも多摩市内でNPOに所属し様々な活動をしていたそうで、例えば、当時のタウン誌の編集を担っていたとのこと。きっかけは高校生の時から運営していた多摩ニュータウンの情報ページが当時のタウン誌の編集長の目に留まり声をかけられたことだそうです。当時はホームページを制作・運営する人はそこまで多くなく、高校生が運営しているという事もあり、話題になりました。これが多摩市との縁になります。これらの経験は今の「多摩市若者会議」を運営している中でも様々な場面で活かされています。
高野「若者会議を始めて、地域でいろんな事をするという時に、地域の事情をある程度理解していることが役に立ちます。その辺は20年前に活動していたからこそわかる事情かなと」
浅野「自分が現場に出ていたからこそ分かるのでしょうね」
高野「他のエリアで動くと地域の事情がわからなくて動きにくいですね...」
多摩市では、多くのNPOや市民団体が活躍していますが、このような現状について高野さんは少しながら気にかけているところあるようです。
多摩ニュータウンに移り住んだ新住民は、多摩ニュータウン開発前からあった文化や伝統行事に触れる機会がなかったことから、ニュータウン地域に足りないものを自分たちでつくろうとして市民活動が活発になっていったと言われています。そのため、当時は数多くの市民団体やNPO法人が設立されました。しかし、現在は高齢化により団体の継続ができなくなるといった要因で、徐々に減少傾向にあります。
また市民活動についても、ニュータウン地域に引っ越してきた世代の入居の時期が地区によって偏っていたことや、ニュータウンが建設されてきた時代に引っ越すことのできたのが比較的経済的に余裕のある人たちであるために、行政である市役所への意見が要求中心になってしまいました。このことから市役所サイドも市民との関係性に対して慎重に進めていると考えられます。一方で「多摩市若者会議」は自分たち自身で「やってみたい」ことを実践しようとする中で、市役所と建設的な話し合いを通して具体的なお願いをしているため、市役所サイドとの連携もスムーズに行う事が出来るとのことでした。
そこで、ここからは、この「多摩市若者会議」についてのお話を中心に、高野さんの考える「シビックプライド」を深掘りしていきたいと思います。
・「多摩市若者会議」
伊藤「現在、多摩市が取り組んでいるシビックプライド醸成についての活動の中で1番自分自身の中で効果があるなと思うものってありますか?」
高野「多摩市若者会議じゃないですかね」
伊藤「言わせたかのような(笑)」
高野「多摩市はシビックプライド醸成の活動はいくつかやっていて、1つはメディアを使った戦略です。割と積極的に広告をうっているんですね。(中略)じゃあそれがシビックプライドに直結するかというとそうじゃない部分が多いです。ちょっとは話題になったりとかして多摩市に興味を持ってもらえるんですけど、やっぱりシビックプライドって"自分の地域なんだ"って思わないと高くならないと思います。そして、いかに地域の事を自分事にできる人を増やすかだと考えています。多摩市若者会議はまさに地域の事を自分事にする取り組みだと思っています」
伊藤「若者会議ができはじめてから"自分事"にしていく市民が増えたなとか、若者会議に限らずここ何年かで変化したなって感じることはありますか?」
高野「若者会議をやっているからとか、若者会議が直接的な効果を与えた訳ではないんですけど、結構市民の方で市役所の人と一緒に何か立ち上げようという事をしている人は増えてきていると思います」
伊藤「そういった行動は珍しいですよね、他の地域と比べて」
高野「例えば、ランニングパトロールという走りながら地域の見守りをしている人とか。『たま広報』に多摩市若者会議の取り組みが載ったりしたときに『地域協創・自分たちでやってみたいことがあったら市役所に相談してくださいね』っていうのを載せた後に市役所に地域の人が相談しに来て、市役所が支援なんかもやっているんです。その記事の中では『多摩市若者会議』の事例も出しつつ市役所は市民がやりたいことをサポートしていますよということを打ち出したりとかして、少しずつ成果が出てきています。だからまだホントに動き出したばかりだと思うんですけど、私たち以外のところでも変化が感じられる気がします」
伊藤「若者会議が取り組むシビックプライド醸成のための活動っていうのは沢山あると思うんですけど、代表例として挙げられるのはありますか?」
高野「正直なところ最初は若者会議が『シビックプライド』とか『多摩市の地域活性化』のアイデアを生み出す所だと思ってたんですけど、3年目くらいから気づいたのは多摩市若者会議の取り組みそのものが1番の効果がある活動じゃないのかなと思うようになりました。例えば、若者会議のコアメンバーが多摩市若者会議の取り組みを手伝ってくれる感じで来て、多摩市だと自分のやりたいことができるというので多摩市に移住までしてきてくれる子が居るわけで。若者が活躍できる場をつくるというのが効果のある活動じゃないのかなと思ってます。ただ参加してくれるだけでもウェルカムなんですけど、なかなかやりたいことを持ってきてもらえないなぁ、とも思ってます。市役所も喜んでると思います」
続いて、コロナの多摩市についてお聞きしました。
高野「在宅勤務で多摩市ににいながら働く人が増えたなという印象です。そういった人達は土日なんかに地域を歩いてくれるような、いままで出てこなかった住宅地の中の遊歩道を散歩してくれるなど地域を発見しようといった感じで動いている方が出てきたと感じますし、多摩市若者会議も結構コロナ禍に社会人を中心に来てくれる人が増えました」
伊藤「やっぱり全然違うんですか?」
高野「例えば、クラウドファンディングをやっていたときに多摩市若者会議に参加していた社会人は、私だったり(同じコアメンバーの)高木さんとかみんな多摩市出身なんですよね。そういう風に多摩市に思いのある人が来ていたんだけど、最近来てくれる人って例えば「マンションを買い、地域の事に興味があって来てみました!」とか「多摩市に移住したから」などが動機で。来てくれる人が増えたのがコロナがあったからという関係性は説明しにくいんだけど以前はなかなか来てくれなかった。今までは会社というコミュニティが強くて地域の方に目を向けなかったのが、在宅勤務が多くなって会社とかの飲み会もなくなり、会社以外のコミュニティーを、自分の居場所を探す人が増えたのではないのかと思います」
伊藤「コロナ禍でイベントに参加しに来る人が減ったりとかはなかったのですか?」
高野 「そもそも(人を集める)イベントを打ってないとか広報を控えたとかしているので減ってはいますね昔と違って今は着席できるくらいの定員くらいにとどめておこうとか3密にならないようにしようとかにしています」
伊藤「そういった意味ではまっきー(※牧野)が多摩市若者会議に来たのもコロナが少し落ち着いたのと関係しているのかもしれないですね」
牧野 「そうかもしれないです」
浅野「例えば、コロナ禍で大学行けなくなったとか友だちとキャンパスで会えなくなっちゃったとかで大学の授業よりも友だち作らなきゃ感が強くなったなって思うところが。あとは友だち作るじゃなくてもどこかに所属している場所を作った方が楽しいなとか思いました。大学の友だちとかっていろんな人が居るから価値観が違ったりするけど、こういう人達だったらある程度生活が見えるじゃないけど、近い人が多いじゃないですか」
伊藤「確かに。サードプレイスみたいなのを求めて私も入っているから」
浅野「そうそう!そこで仲良くなれたらなぁって(笑)」
高野 「多摩市若者会議の課題って割と属性が偏っているところなんだよね」
伊藤 「そうなんですね(笑)」
浅野 「あぁ、そうですよね。割と活動的な人が多いですし」
高野 「世間一般だとちょっと浮いちゃう系の人とか・・・自分なんか典型的だから(笑)そういう人がちょっと多いのはあって、本当は多様性を求めていきたいなと思っています」
浅野 「実際いろいろ回せていけちゃう人なんか多いですよね、仕事がパッとできちゃう人とか、気が効き過ぎちゃう人とか、社会適正が高すぎる人が多い気がする。」
高野「よく言えばそういうことだな」
伊藤 「潜在的ボランティア層という言葉をよく使われますけど、そういう人達を拾っていかなきゃいけないんだろうなぁって、高野さん的にこうしたら拾っていけるんじゃないかって考えありますか?」
高野 「やっぱり、「やってみせる」というのが大事だと思っていて、今やっている取り組みって自分たちができるって思う人が少ないんじゃないかっていう活動が多くて、例えば移動動物的なイベント。動物呼んで、しかも外部の団体や施設と協力して呼ぶとかって自分たちで同じ事できるかって言われたらどうだろうって人多いと思う(笑)」
浅野 「ハードル高そうだよね、だって準備とか自分でしないといけないだから・・・」
高野 「もっとハードルが低いイベント、例えばわかりやすいところで言ったらゴミ拾いとか。ケルヒャーのイベントやったのはそんな意図あったんですけど」
伊藤 「ケルヒャー使って掃除するイベントですよね。」
浅野「いいなぁ~」
高野 「豊ヶ丘地域の商店街と橋がかなり汚くて手すりとかをケルヒャーとか使ってみんなでキレイにしてあげよう!って街中清掃プロジェクトを去年の3月から。でもこれはわかりやすい事をしたら参加してくれる人が増えるんじゃないかっていうことで企画して実際通りかかった人が参加してくれたりしましたね」
取材陣 「へぇ~!」
高野 「こんな感じでわかりやすくて、自分でもできそうだなっていうのを日常的にやっていけたら、(イベントに参加して)やってくれる人が増えそうだなって思ってます」
浅野 「やりたい人はそうですけど、機会がね...」
高野 「ケルヒャーのイベントについては思っていたよりも準備が大変で、警察署とか市役所に届を出したりするのが凄く大変で2回目ができていないのです・・・来年度はやろうと思っています」
浅野 「市民参加型でやれたらいいな」
伊藤 「楽しみながらできるのはね!」
浅野 「いいな、私もケルヒャーしたい(笑)」
高野 「ゴミ集めゲームとか、ゴミをたくさん集めてきた人が勝ちみたいな、とか」
伊藤「あ、それめっちゃ面白そうだなぁ、そういうのいいなぁ~(笑)参加する人達ってもしかしたら活動する場所や自分に適した場所がなかなか見つからないのかもしれなくて、そういうときに若者会議のような場所があるのは大事だなって思いますね」
・前半のまとめ
ここまで「多摩市若者会議」と「シビックプライド」についてお話をしていただきました。
一言でいえば、「シビックプライド」を具現化したものが「多摩市若者会議」です。自分が出来ることからチャレンジしていくことが若者会議の活動であり、市民が多摩市の事を自分事にしていく第一歩にも繋がるでしょう。私、伊藤は多摩市民ですが、多摩市の事を自分事だと思えるようになったのはつい最近です。「なにかしたいけどなにが必要なのかわからない」のステップにいる人たちに、いかにチャレンジできる機会を提供するかが重要だと私は考えます。
多摩市にはシビックプライドを持つ市民が多くいます。これは当然良いことです。ただし、取材をする中で、若干の課題も見えてきました。そこで、後半は、シビックプライドによって起こってくる課題にフォーカスして、インタビューを続けたいと思います。これからの多摩市を考える上で、シビックプライドはまちにどんな影響を与えるのでしょうか。