平塚市議会傍聴レポート1 史上初の女性議長誕生と歴代議長編(令和7年5月15日)
2025年05月20日深江 悠斗
こんにちは!夜に閲覧された方にはこんばんは!東海大学2年の深江悠斗です。個人参加で、卒業もせずまだ学生ということもあり、昨年度から継続して「政治の村Students」に参加していくことにしました。読者の皆様、今年度もよろしくお願いします。
さて、本日は作風をかえて、平塚市議会の傍聴記録をここに投稿しようと思います。
令和7年5月15日に開催された議会運営委員会及び令和7年5月第1回平塚市議会臨時会では、平塚市議会正・副議長及び各審議会委員、常任委員会委員とその正・副委員長職の変更及び改選が行われました。
その様子を、当日記したメモ及び傍聴時の配布資料、その後調べた情報をもとに、私の感想や雑学を交えて、皆様のもとにお届けしたく思います。
(臨時会全ての内容を記載すると膨大な分量になってしまうため、内容を分けて投稿します。今回は、史上初の女性議長誕生と歴代議長編です)
では、本文をお楽しみください。
目次
- 【議長選挙】平塚市議会史上初の女性議長・佐藤貴子議長誕生
- 【議長選挙】もう一人の議長候補・江口ともこ候補の公約を考える
- 【歴代議長を俯瞰する】昭和期の議長
- 【歴代議長】遠藤精一
- 【歴代議長】片倉常夫
- 【歴代議長を俯瞰する】平成・令和期の議長
- 【歴代議長】落合克宏
- 【編集後記】
- 【記事の紹介】モットミルさんのレポート
【議長選挙】平塚市議会史上初の女性議長・佐藤貴子議長誕生
5月15日、議会運営委員会(通称:議運)の休憩中、平塚市議会本会議議場では臨時会が開催された。この臨時会では、"途中までは"いつも通りの議会運営が行われていた。
議題に挙げられた話題は日程第1「会議録署名議員の氏名」、日程第2「会期の決定」、日程第3「報告第2号及び議案37~40号」、日程第4「常任委員会委員の選任について」、日程第5「会議案第2号」、日程第6「議会運営委員会委員の選任について」の6つ。日程第1~3の終了後、臨時会の司会が、平塚市議会議長の職にあった坂間正昭氏から出村光氏にかわった。ここで、出村副議長が「坂間議長から自らに辞職願が提出された旨」を全議員及び傍聴の市民に告げる。これが、平塚市議会恒例の議長選開始の合図だ。
平塚市議会では、正・副議長職の改選にあたり、その職にある者が5月の臨時会で辞職願を提出することが伝統となっている。この辞職願を受理すると、平塚市議会では「先例に習い、討論を用いずこれを承諾」し、議長選挙を「直ちに議題に上げる」ことになる。
10時10分、出村副議長は議長選挙での不正を防ぐため、議場の閉鎖を宣言。これにより、市議会議員及び出席していた市当局の理事者も途中入退室を制限された。職員によって閉鎖された議場をその場で目にするのは圧巻である。傍聴している市民にまで、その"神聖な儀式たる"議長選挙に対する緊張感を得てしまう。いや、得ざるを得ない(ただし、傍聴の市民の出入りは制限されない)。
ここで、投票箱内が空っぽであることを確認するため、市職員がその箱を開封し市議会議員、傍聴市民、市理事者、議長の順にその中身を明らかにする。これが終わり、投票用紙が配られることで、やっと「投票」が始まるのだ。
10時19分、極度の緊張のもと、長いようで短かった約10分間の投票時間が終わった。ここで、出村副議長の言により議場の封鎖も解かれる。投票立会人には元島新(平塚YouTuberしん)議員、高山和義議員、岡崎通子議員が指名され、この3人が、投票箱が設置された演壇に集まる。初めから順に、しらさぎ無所属クラブ、日本共産党平塚市議会議員団、公明ひらつか各会派に所属する議員達である。
10時28分には開票・集計が終わり、得票数が発表される。26人の出席議員中、棄権なく26人全員が有効票を投じた。以下、各議員がそれぞれ得た票数である(資料1)。
議長候補者 | 得票数 | 所属会派 |
---|---|---|
佐藤貴子 | 19票 | 清風クラブ |
江口ともこ | 5票 | しらさぎ無所属クラブ |
松本敏子 | 2票 | 共産党議員団 |
(資料1)令和7年5月臨時会での議長候補者得票数
当日行われた臨時会内での発言から書き起こし
地方自治法に則り、ここに佐藤貴子平塚市議会議長が誕生した。平塚市議会に女性議長が誕生するのは、この湘南ひらつかの地に市制が施行されて以来、初めての出来事であり、平塚市議会の歴史にとって、重要な1日であった。
特筆すべき点は女性議長の誕生だけではない。今回得票を得た候補者の3人全員が女性であり、且つ男性が一人も票を得ていない。これも、平塚市議会始まって以来の出来事である。
同臨時会で行われた佐藤貴子"新"議長の挨拶では、「市議会初の女性議長」として「大きなプレッシャー」を抱えながらも、「平塚市議会が前に進むように務める」と語った。
平塚市議会における女性初の議長誕生が、今後平塚市においては大々的に取り上げられることになるだろう。世間一般において、女性の社会進出が叫ばれている中で、佐藤貴子氏が自らの力で、民主主義的な手続きに則って勝ち取った議長職ということを考えると、この出来事は祝うべきであると私は思う。
【議長選挙】もう一人の議長候補・江口ともこ候補の公約を考える
確かに、女性初の議長誕生は喜ばしい。ただ、同じ議長選挙を戦った江口ともこ氏が、議長選挙に立候補する理由として掲げた公約である「決定プロセスの公開」、そして平塚市議会からなくしたいこととしてあげた「怒鳴ること」「話を聞かないこと」「密室での会議」。この4点が、「平塚における女性初の議長」という祝賀的なムードに雲隠れすることがあってはならない。
同氏の市政レポート『江口ともこのまちある記 2025初夏 No.104』には、これらを掲げた理由となる出来事について、「2年前の議長選臨時議会で江口は、密室で6時間怒号と非難をあび続ける体験をしました。」と、自身が受けた出来事について語っている。私自身は、2年前の議長選挙臨時会は傍聴していないので、その真偽を今確かめる術はなく、その真偽は当事者にしかわからない。
しかし、「火のないところに煙は立たない」ということわざの如く、なぜ江口ともこ氏がこの政策を訴えていたのかはよく考えなければならないと私は思う。
女性初の議長誕生をお祝いすることも良いが、噴出してきた問題は問題として、忘れずに注視していかなければならない。なぜ江口ともこ氏がこの4点を掲げたのか。「議長選挙に敗れたからこの話はなかった」とは考えず、実際の平塚市議会が抱える問題である以上はこれを考える必要がある。
【歴代議長を俯瞰する】昭和期の議長
ここで、今までの平塚市議会議長の中から、平塚の政治史にとって、特に重要な人物をピックアップしてご紹介したい。
以下に、歴代の、特に昭和期の議長を掲載する(資料2)。
臨時会開催日 | 選出された議長 | 所属会派 |
---|---|---|
昭和26年5月18日 | 安藤好明 | 不明(資料なし) |
昭和28年5月27日 | 遠藤精一 | 不明(資料なし) |
昭和30年5月18日 | 遠藤精一 | 不明(資料なし) |
昭和32年5月18日 | 遠藤精一 | 不明(資料なし) |
昭和34年5月14日 | 金子吉蔵 | 不明(資料なし) |
昭和36年6月23日? | 藤澤俊範 | 不明(資料なし) |
昭和38年5月20日 | 古家安治 | 不明(資料なし) |
昭和40年5月31日~6月1日 | 富田藤太郎 | 不明(資料なし) |
昭和42年5月18日~19日 | 角田鎮雄 | 不明(資料なし) |
昭和44年5月28日 | 藤澤俊範 | 不明(資料なし) |
昭和46年5月19日 | 小川房吉 | 不明(資料なし) |
昭和48年7月13日 | 小清水忠義 | 政交クラブ |
昭和50年5月21日 | 小清水忠義 | 親政会 |
昭和52年5月25日 | 岩田辰蔵 | 新風クラブ |
昭和54年5月16日 | 相原庄太郎 | 新光クラブ |
昭和56年5月19日 | 水島英耀 | 新光クラブ |
昭和58年5月18日 | 伊藤昌治 | 新風クラブ |
昭和60年5月20日 | 山田忠治 | 自民クラブ |
昭和62年5月19日 | 片倉常夫 | 市政クラブ |
(資料2)昭和期の平塚市議会議長一覧
広報ひらつか、ひらつか議会だよりをもとに作成
この資料は、広報ひらつか(究明:平塚市弘報)及びひらつか議会だよりの記載をもとに作成した。この中からご紹介するのは遠藤精一氏、片倉常夫氏の2人である。
【歴代議長】遠藤精一
遠藤精一氏について、戦前の昭和15(1940)年に発足した第3期平塚市議会議員の名簿からその名前を見ることが出来る。議長職に就任したのは市議会議員三期目にあたる、戦後の昭和28(1953)年。ここから、議長としては3期6年の業務を務めあげることになる。昭和34(1959)年の第7期市議会議員名簿にはその名前が消えているため、市議会議員としては3期12年の活動であったことが伺い知れる。
遠藤精一議長の著名な話題と言えば、この政治の村Studentsでも取り上げた「平塚市立高浜高等学校と平塚市立商業高等学校の県移併設問題」だろう。この件は、私の投稿した「平塚市の政治史を辿る 第一回『市立高浜高校と市立商業高校の県移管併設問題(1956年)』」が詳しいのでそちらに譲る。
https://seijinomura.townnews.co.jp/students/2025/01/250121.html
【歴代議長】片倉常夫
片倉常夫氏は、昭和42(1967)年の第9期から平成15(2003)年の第17期平塚市議会の、9期36年のあいだ市議会議員を務めた平塚市議会の名門家である。現職で平成15年から同じく平塚市議会議員に連続当選を果たしている片倉章博氏の実父でもある。平成17(2005)年には旭日章を受章している。
平塚市博物館の運営にも個人として協力しており、平成16(2004)年に同博物館が開催した「食の民具たち 平成16年冬季特別展」において、そこで紹介された角樽の寄贈者名に同氏の名前が伺える。
片倉常夫氏は、平成期にも議長を2年間務めているので、後に掲載する平成・令和期の歴代議長名簿の中から、その名前を探してみてほしい。
【歴代議長を俯瞰する】平成・令和期の議長
次に、平成・令和期の平塚市議会議長の中から、更に重要な人物をピックアップしてご紹介したい。
以下に、平成・令和期の議長を掲載する(資料3)。
臨時会開催日 | 選出された議長 | 所属会派 |
---|---|---|
平成元年5月19日 | 落合良延 | 新風クラブ |
平成3年5月15日 | 神谷隆 | 社会党議員団 |
平成5年5月14日 | 落合良延 | 新風クラブ |
平成7年5月16日 | 加藤豈宏 | 湘南クラブ |
平成9年5月15日 | 古家安正 | 湘南クラブ |
平成11年5月17日 | 片倉常夫 | 政友クラブ |
平成13年5月17日~18日 | 佐藤宏 | 政友クラブ |
平成15年5月15日 | 陶山豊彦 | 平塚クラブ |
平成17年5月17日 | 伊藤裕 | 平塚クラブ |
平成19年5月17日 | 落合克宏 | 平塚クラブ |
平成21年5月19日 | 金子修一 | 平塚クラブ |
平成23年5月19日 | 須藤量久 | 清風クラブ |
平成25年5月16日 | 黒部栄三 | 清風クラブ |
平成27年5月19日 | 府川正明 | 湘南フォーラム |
平成29年5月16日 | 山原栄一 | 湘南フォーラム |
令和元年5月17日 | 片倉章博 | 清風クラブ |
令和3年5月18日 | 数田俊樹 | 清風クラブ |
令和5年5月16日 | 坂間正昭 | 清風クラブ |
令和7年5月15日 | 佐藤貴子 | 清風クラブ |
(資料3)平成・令和期の平塚市議会議長一覧
広報ひらつか、ひらつか議会だよりをもとに作成
ここで紹介するのは、落合克宏氏である。
【歴代議長】落合克宏
落合克宏氏は、皆が知る通り現在の平塚市長である。実は彼も、平塚市議会議員とその議長の経験者だったのだ。
落合克宏氏が市議会議員に初当選したのは平成15(2003)年。前述の通り、この年は片倉常夫氏から片倉章博氏に市議会議員のバトンが受け継がれた時でもあり、いわば世代交代の年だった。落合克宏氏自身も、実父の落合良延氏が昭和50(1975)年から平成7(1995)年まで市議会議員を務めており、その地盤を継いだ世代交代組にあたる。
落合克宏氏自身は、平成15(2003)年に市議会議員に初当選、自由民主党系の会派「平塚クラブ」(当時)に所属し、片倉章博氏や落合克宏氏の次に議長となる金子修一氏らと行動を共にした。落合克宏氏が議長職に就くのは、市議会議員2期目の平成19(2007)年の統一地方選挙当選後すぐである。二期目終盤に行われた平成23(2011)年の統一地方選挙では、市長候補として平塚市長選挙に立候補。当時のタウンニュース記事によれば、新人二人に対して「1万票以上の差をつけて」勝利し、現在3期目の市長職にある。
【編集後記】
今回は、前二作の記事に比べ、新しい形での作文に挑戦した。今回の出来事をきっかけに、女性の政治進出、特に市町村政への進出について考えたい。
湘南地域の市町村において、「女性」の政治参加が加速したのは平成15(2003)年の統一地方選挙の時であった。同年、茅ケ崎市議会では山下孝子氏が女性初の茅ケ崎市議会議長を務め、大磯町では日本初の男女の人数が同数の議会がうまれた。では、平塚市ではどうだったのだろうか。
この年、平塚市で行われた平塚市長選挙では、市政初の女性市長として大藏律子氏が当選し、8年の任期を務めることになる。
女性の社会進出は推進されるべきだと思うし、女性であることによって市議会議員や正・副議長職、市長になれることが出来ないなどの社会的風潮があるならばそれは撤廃されるべきであると思う。だからこそ、自らの手腕と能力で議長職に就いた佐藤貴子氏の勇姿には心を惹かれるものがあるし、その他得票を得た女性二人も、その実力を以って票を得たという事実に自信を持ってほしいと個人的には思う。
しかしながら、「女性」というだけで、闇雲に投票したり、社会進出を進めたりすることはあってはならないだろうとも思う。私達有権者は、「性別」という概念に囚われず、「自分が良いと思う政策を掲げる政治家」に投票することが、本当の男女平等ではないだろうか。私にはそう思えてならない。
【記事の紹介】モットミルさんのレポート
最後に、モットミルさんのレポートを紹介したい。
前回、林芳正官房長官へ色紙を手渡したモットミルさんの話を、私がこの政治の村Studentsで取り上げた。
林芳正に寄書きを手渡した「モットミル」って誰? 若者の「非政治的な政治参加」について考える
Twitter(現:X)だけでも、モットミルさん本人や林芳正事務所の引用リツイートもあり、1万件もの閲覧および反響を頂いた。しがない一般市民の私の書く記事を、こんなにも大勢の方々に読んで頂けたのかと、感慨無量である。改めて、取材に協力していただいた皆様と、記事をお読みになった皆様に感謝の気持ちをお伝えしたい。ありがとうございました。
さて、そのモットミルさんが、色紙に関する話題を、自身のレポートとして酩亭海松名義で「note」というサイトに投稿されました。また、本記事中「今回の企画が記事になる」という項目で、私の書いた記事についてもご紹介してくださいました。
私が自身の記事の中で提言した「非政治的な政治参加」について、「私はこの記事で『非政治的な政治参加』という概念を初めて知ったのだが、確かに言い得て妙かもしれない。」とのコメントを頂き、誠に光栄でした。
本人目線から語られる「お誕生日色紙」のエピソード、楽しくほっこりする内容ばかり、ぜひ政治の村Studentsの記事と合わせてお読みください。
【レポ】林芳正官房長官に有志で誕生日色紙をプレゼントした話(酩亭海松)
本ブログをお読みいただきありがとうございました。次回のブログでまたお会いしましょう。深江