戦後80年、街に佇む戦争遺跡を辿る②
こんにちは!東海大学1年の川井龍と、3年の石川流也です。今年は戦後80年ということで、暮らしの中にある戦争の記憶、戦争遺構を調査しました。戦争遺構とは戦争の痕跡を後世へ残すために保存されている場所やもののことです。
川井は東京都八王子市にある大和田橋を、石川は神奈川県相模原市にある相模陸軍造兵廠をそれぞれ調査しました。この記事では皆さんと遺構のある意義やそれらの伝える意味について深めていければと思います。
大和田橋 ―日常に溶け込む戦争の痛み―
川井龍
東京都八王子市、皆さんはこの街にどんなイメージがありますか。高尾山のふもとに広がるこの街の日常には、第二次世界大戦による"名残"が市内各所に溶け込んでいます。戦後80年、戦争を知らない私たち若者はそれらから何を感じて後世に伝えていくことができるのでしょうか。
八王子市の戦争の名残の一つが、浅川に架かる大和田橋です。国道20号線上にあるこの橋は、日常の交通の要衝として多くの人々が利用しています。そんな大和田橋には戦争の記憶が静かに刻まれています。
1945年8月2日未明、米軍のB-29爆撃機が八王子を襲いました。この空襲で投下された焼夷弾の跡が17箇所、橋上に残されています。2箇所は透明な板で覆われ、残りは色の異なるタイルで位置を示しています。この橋は市民に戦争の痛みを今に伝える大切な存在です。
まず、なぜこの大和田橋が「戦跡として遺構となったのか」を振り返ります。米軍の日本本土空襲は、工業都市を標的にしましたが、八王子は交通の要所としてという理由が一つ、また今まで空襲が行われていなかったことから空襲の標的となったそうです。
※八王子には浅川地下壕という軍事工場が存在していましたが、当時はそれが周囲に知られておらず、経済的な空襲の価値は低かったそうです。
元々1930年代に架けられた大和田橋。平和な交通インフラだったものが一夜の炎で「戦争の傷跡」へと変わりました。
「多くの市民が大和田橋の下に避難し、尊い命が助かりました。(中略)この大和田橋の補修工事にあたり焼夷弾の弾痕を保存し太平洋戦争の痕跡を永く後世に伝えるものです。」と記された看板は工事を担当した「建設省関東地方建設局 相武国道工事事務所」によって設置されました。1997年(平成9年)、この橋を永久に保存することとして橋の袂、左右四箇所に掲げられています。
この橋の特徴は「日常に溶け込んでいる」ということ。街の風景の一部として残すことで、能動的な気づきを促す狙いがあるのではないでしょうか。こうした保存努力は、戦後復興の象徴でもあるのだと思います。
遺構を残す意義とまとめ
この遺構は何を示しているのでしょうか。まず、物理的には無差別爆撃の残虐性を体現していると考えます。投下された焼夷弾は着弾後に大火災を引き起こしたそうです。現代の私たちの日常に溶け込む確かな橋の記憶は戦争の残虐性を視覚化しています。現代のドローン攻撃やミサイルのニュースを思い浮かべると、技術の進歩が戦争の残虐性を加速させる危険性を感じるとともに、未来の平和はこれからの世界を支えていく私たち次の世代へ託されているのだという責任を感じました。
私が大和田橋の焼夷弾跡から受けた第一印象は、「普通の日常」でした。車が通り過ぎ、人々が行き交う中、私が写真を撮ろうとすると後ろから人や自転車の通行があり写真を撮り損ねるということが何度かありました。私は歴史的建造物として訪れましたが、周辺住民の方達はその事実を知っていても、橋も、色の変わったタイルも日常の一部なのだなと感じました。橋に触れてみるとざらざらした手の感触が、歴史を感じさせました。
私にとっての第一印象は「普通の日常」でしたが、調べるほどに色々な思いが頭をめぐりました。大和田橋は、国道20号にまたがる「日常」として、そこに佇んでいます。私たちは戦争を知らない世代ですが、この史跡から学ぶことで、未来の平和を紡いでいきます。悲惨な歴史は繰り返してはなりません。
現存する遺構に対する市民の認知
石川流也
相模陸軍造兵廠
現在、JR相模原駅の北東に位置する「米軍相模総合補給廠」は、かつて「旧日本陸軍造兵廠」として使われていた場所でした。陸軍造兵廠とは、陸軍省に隷属した機関で兵器の製造、修理が行われていたとされています。また、終戦後、構内全地域が施設とともにアメリカ軍に接収されたという背景があります。
矢部に残る記念碑
JR矢部駅北東に位置している上矢部公園の北端に「相模陸軍造兵廠跡」の記念碑があり、その裏には造兵廠の歴史について記されています。それによると、昭和12年(1937年)3月に「陸軍東京工廠相模兵器製造所」として設立され、昭和13年(1938年)6月より、戦車・牽引車・砲弾の生産を開始したようです。その後、昭和15年(1940年)に「相模陸軍造兵廠」へと昇格したとされています。記念碑は昭和61年(1986年)に建設されましたが、非常にきれいな状態で残されており、公園内でもひときわ目立つ存在でした。
しかし、相模原市で暮らしてきた私はこれまで記念碑の存在を知りませんでした。また、公園付近も人通りは少なく、閑散としている雰囲気が見受けられました。相模原市に住む人にもあまり認知されていないのが現状ではないでしょうか。かつて相模原市で武器の製造を行っていたという歴史と遺構の存在を我々若者が認知していかなければ、残された遺構はただ廃れていってしまうだけではないのか。私はこの遺構をより多くの人に知ってもらう必要があると強く感じました。
当時のままの引き込み線跡
さらに、上矢部公園を北上した先、団地などが佇む土地にはかつて輸送に使われていた線路の跡が見られました。大部分が米軍に接収されてしまった中で、当時使われていたものとして見ることができる貴重な遺構でした。しかし、現在は草が生い茂り、一見すると線路には見えないほど手入れなどが行われていないように感じました。立ち入るにも立ち入りにくい、綺麗に現存している中で非常にもったいないといった印象でした。
この先も残していくために
イベントなどの特別な場合を除き、「米軍相模総合補給廠」へ入ることは原則禁止されているため、現在見ることができる部分は限られてしまっています。
終戦後、そのほとんどを米軍に接収されてしまい、遺構として残されているのにその大部分を見ることができません。しかし、その周辺にも戦時中の形のまま残されているものもあるのだと明らかになりました。私が子どもの時、残された遺構の存在や戦時中の相模原について、学校で詳しく取り扱われることはありませんでした。おそらく多くの若い世代が私と同じように遺構の存在や歴史を認知していません。今も残されている遺構の存在と、現存している背景を、より多くの人が認知していくことが求められます。私たち若い世代が歴史を知ること、遺構を後の世代へ残していくための手入れ、保存方法を検討していくことが次の世代へ残していくためにするべきことであると強く感じさせられました。
まとめ
今回は戦後80年という節目の年ということで、日常に溶け込む戦争の傷跡について調査・レポートしました。戦争という話題は、私たち若い世代にとってどこか遠くに感じる話題かもしれません。ですが「たったの」80年前に世界を巻き込んだ悲惨な戦争があったことは忘れてはいけないし、どんな理由があろうと今後繰り返してはなりません。
私たちがよく利用する場所にも戦争の惨禍があったこと、これらの戦争遺構はその事実を私たちに思い出させる力を持っています。今を生きる私たちはそれらに敬意を。そして私たちの子孫に繋いでいかなければなりません。
【参考文献】
大和田橋 ―日常に溶け込む戦争の痛み― 川井龍
・株式会社:朝日新聞立川総合販売
https://asa-ing.co.jp/t/sanpo-to/sanpo-to2108.html
・多摩めぐりの会
https://tama-meguri.com/blog/2020/08/27/12/4353/
・Wikipedia:八王子空襲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E7%A9%BA%E8%A5%B2
・総務省:八王子市における戦災の状況(東京都)
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/kanto_20.html
・朝日新聞:焼夷弾をよけ、火の海を駆けた13歳 八王子空襲80年「戦争は...」
https://digital.asahi.com/articles/AST7X3JJDT7XOXIE04WM.html
・八王子市ホームページ:「まさに"地獄"でした」
https://www.city.hachioji.tokyo.jp/contents/kouhou/006/p003425_d/fil/100715all.pdf
・タウンニュース八王子版:大和田橋に弾痕 なぜ?
https://www.townnews.co.jp/0305/2017/11/02/405045.html
・八王子図書館
https://www.library.city.hachioji.tokyo.jp/upload/known/66e0fc5048c2f.pdf
現存する遺構に対する市民の認知 石川流也
・相模原市市史編さん委員会『相模原市史第4巻』(昭和46年、相模原)
・相模原市ホームページ「在日米陸軍相模原補給廠の歴史」
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/kosodate/1026602/sagamiharakids/1020937/1022527/1022541/index.html
・相模原市ホームページ「相模総合補給廠」
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/shisei/1026823/beigun_kichi/1026858/1005626.html