戦後80年、街に佇む戦争遺跡を辿る① 茅ヶ崎市の戦争遺構「南湖院」
2025年11月03日 木村大吉
太平洋戦争末期、日本を追い詰める連合国軍の本土上陸作戦により、その役目を終えた結核療養所がありました。それは医師である高田畊安によって茅ヶ崎に設立された「南湖(なんこ)院」です。茅ヶ崎駅が開設された翌年の1899年に生まれた南湖院は、開設当初は5568坪の土地から始まり、敷地面積5万坪まで拡大した最盛期には「東洋一のサナトリウム(結核療養所)」と呼ばれ、茅ヶ崎駅周辺の発展に大きく貢献しました。
南湖院の発展は茅ヶ崎にどのような影響を及ぼしたのでしょうか。また、なぜ病院としての幕を閉じることとなったのかを紹介していきたいと思います。
●南湖院の発展と茅ヶ崎の賑わい
南湖院は茅ヶ崎駅周辺の発展に積極的に協力しました。当時、病院道と呼ばれた茅ヶ崎駅から南湖院までの道路の整備に協力し、海水浴客や別荘の増加により「駅の南側にも乗降口を」という要望が高まった際には南湖院は南側にあった土地500坪の寄付を申し出ました。
他にも、南湖院の規模の拡大は茅ヶ崎に様々な恩恵をもたらしました。南湖院周辺には見舞客が宿泊する旅館や退院後に療養する人たちのための宿泊施設が建設され、貸家や自宅の一室を貸すなど、南湖院との関係で収入を得る人が増加しました。さらに、南湖院や旅館に食料や生活用品を提供する商店も開業していくなど、南湖院とその周辺は一つの共同体となっていたことがわかります。
●「結核療養所」に対する茅ヶ崎の葛藤
日本国内で結核療養所の建設は地域の理解を得るのが難しく、反対運動が行われることもありました。しかし、南湖院が開設されたときに大きな反対運動はなく、村長も町民の病気を優先的に診てもらおうということで病院の受け入れを進めていました。
ところが、茅ヶ崎が別荘地や海水浴場、住宅地として発展していく中で結核療養所に対して地域からの反対の声も聞かれるようになってきました。1942年、「健康住宅地」として発展が期待されていた茅ヶ崎町内の小和田・菱沼地区に結核療養所建設計画が持ち上がると、茅ヶ崎町を挙げての反対運動が展開されることになりました。茅ヶ崎町会協議会、学務委員会、衛生委員会は、この計画の反対決議書を茅ヶ崎駅前の整備と道路拡幅のための「茅ヶ崎都市計画街路決定に関する書類」とともに県の土木部長に提出しました。これにより茅ヶ崎は実質的に「南湖院のある茅ヶ崎」と決別し、観光都市や健康住宅地としての方向を選んだことが読み取れます。
●療養所から兵舎へ
太平洋戦争末期、マッカーサー率いる連合国軍は日本を占領するために湘南・茅ヶ崎方面に約30万人の兵力を投入するという本土上陸作戦(コロネット作戦)を計画しました。この計画は日本の降伏により白紙になりましたが、1945年5月、南湖院は米軍の茅ヶ崎海岸上陸に備え海軍に全面的に接収され、結核療養所としての歴史に幕を閉じました。
戦後は連合国軍に接収され、戦車軍の駐屯地として利用されることになり、「キャンプ・チガサキ」と呼ばれました。これにより、建物の半分が取り壊されたと言われています。
すべての接収が解除されたのは1957年でした。その後、一時は敷地が海水浴客のためのキャンプ場として提供され、建物の一部は海の家として利用されたこともありましたが、1979年には有料老人ホーム「太陽の郷」が建設され、敷地内に残された旧南湖院第一病舎は2018年に国登録有形文化財に登録されました。

●最後に
今回、「居住地にある戦争遺構」をテーマに調べていく中で、今まで知ることのできなかった戦争の歴史を知ることができ、茅ヶ崎への理解も深まることとなりました。
上記の写真からも分かるように、第一病舎は竣工後100年以上経っていてもなお、幾度とない改修を経て美しく現存しています。このことから、茅ヶ崎の発展や戦争の歴史などを後世へと受け継ぐために大切に保存されてきたことが感じ取れました。戦争遺構を残すということは、戦争の歴史を風化させずに未来へ繋げるための大切な存在であるということを学びました。
南湖院は数々の文学作品が生まれた地としても有名です。興味のある方は、南湖院で亡くなった国木田独歩や見舞いに訪れた作家仲間たちの遺した作品を読んでみるとさらに理解が深まるのではないでしょうか。
【参考文献】
・『茅ヶ崎市史ブックレット 第1集 コロネット作戦』(茅ヶ崎市)
・『茅ヶ崎市史ブックレット 第5集 南湖院 高田畊安と湘南のサナトリウム』(茅ヶ崎市)
・茅ヶ崎 太陽の郷「南湖院の歴史 南湖院の敷地(2018年11月14日)」
https://www.taiyonosato.co.jp/nankoin-history/category/shikichi/
(閲覧日2025.10.29)
・茅ヶ崎 太陽の郷「南湖院の歴史 2002年の第一病舎修繕工事(2019年3月20日)」
https://www.taiyonosato.co.jp/nankoin-history/category/daiichibyousha2002shuzen/
(閲覧日2025.10.29)