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横浜市教育委員会での特別な教科「道徳」教科書採択で出された意見を紹介する

壇上のこのボードを見ながら、教育委員会議の音声だけを、24名の抽選を外れた約200名の傍聴希望者はじっと聞いた。


その議論の中で‥


・A教育委員ー8冊とも読んだが、どの教科書も、没個性的で、国定教科書のようだった。

日本人を幼児化させるもので多様性、批判的に物事を見るものがない。

私は、この批判はもっともだと思った。例の「パン屋さん」の話に文科省が検定意見をつけて「和菓子屋」に書き替えたように、全く子どもにとってどうかということを抜きにした、「文科省のご意向ソンタク」がはびこる教科書づくりがされたのではないかとの懸念を拭えない。

ある教科書には、どのおじぎが正しいおじぎかを選ばせる教材もある。

さらに、


A教育委員-5、6年生の教材があまりに幼稚。

情緒的に善悪ではなく、筋道をたてて議論する論理性(が大事だが)は8社同じ程度だ。


材料はいっぱいある。何でも教材になる。子どもを子ども扱いしすぎている。


教条主義、全体主義に犯されないように。かつては治安維持法があり、一般の人がその協力者になった。

私は、この意見については、戦前、修身や教育勅語によって、教条的なものの考え方に子どもの頭を縛り付け、自分の頭で考えるということを奪っていた彼のあの時代、全体主義によって、国家のためには、戦争に反対する人や民主主義を主張する人を、非国民として、市民に密告もさせて牢につないだあの時代に逆戻りさせてはならないとの思いがあるのではないかと感じた。


それは、安倍政権の今の動きの中で抱いている危機感ではないかとの思いだ。


そしてこう感じたのは、教育委員会審議を聞いていた中で、私だけではなかったと思う。


最後に採決に当たって、前回の採択時にも、無記名投票での採択をと主張した委員の意見で全体がまとまってしまったことは、議論されてきた主張と全く噛み合っていないうえに、無責任である。


来年は中学の道徳教科書の採択がある。


道徳を教科化して、子どもを評価するという、この動きこそ問題であることの議論を、今後の教育委員会議では行ってほしいと思ったし、期待したい。


道徳の教科化は、ものすごい矛盾が、そこにはこどもにもそして教師にも存在すると考える。


 


 

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横浜市会議員〈港南区〉

三輪 智恵美

みわ ちえみ

三輪智恵美

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