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西日本豪雨災害被災地広島県坂町へー1ヶ月後の8月7日ーまだ家の中の泥がそのまま、診療所、信金、薬局も閉鎖中

西日本豪雨災害で16名の方が亡くなり、いまだ約100名の方が町民センター等で避難生活をされている広島県坂町に、古谷やすひこ議員と現地調査に伺った。


広島駅から数日前にやっと坂駅までが開通した呉線の坂駅へ。改札階から階段を降り、駅前の通りを歩く。


今日やっとボランティアによる泥出し作業が始まったお宅があった。



一ヶ月経つのに、まだ被災直後のような町の様子に、愕然とする。災害支援の重機が置かれていた。



テレビに映し出されていた川を渡って、ボランティアのセンターになっているお宅で、当時の情報や、避難の様子など話してもらう。


東京新聞に掲載された災害当日の写真を見てもらった。



家の前の公園も含めて、公園は、土砂など災害ゴミで満杯。


先日までは、家財道具が山となっていたとのこと。


・・・・・・・経過・・・・・・

・7月5日(木)に大雨警報。6日(金)は小学校が豪雨のため休校となり、両親が勤務に出て孫二人だけになっている近所にある息子の家にいたが、一旦自宅に帰った。


・17時52分「土砂災害警戒情報」が防災スピーカーから聞こえた。


・携帯のアラームが鳴り、「19時40分 広島県に大雨特別警報」が気象台から発表され、テレビをつけ、携帯での情報も見ていた。


・雨の降り方が、19時58分ころ異常な感じがして「こどもたちだけにしておけない」と思った。


・急いで、隣の家に「避難します」と声をかけたが、「お風呂に入ってから避難する」と言われたので、自分たちは車で避難開始し、息子の家に。


・隣の方が避難する時には、車のドアが開かない水位になっており、土砂降りの中を水をかき分けて歩いて避難したということ。


・川の堤防決壊ではなく、川の力を超える泥水が流れオーバーフローし、そのうえ流されてきた大量の木・車が橋のところに引っかかって、それらも街中に大量の土砂とともに流れ込んでいった。


・15年間住んでいて一度も川がオーバーフローしていないので、住民の危機意識は不足していたと思う。


・新たな道路計画が途中までできていて、その道が、山からの土砂をまっすぐに駅前市街地に運んでいった模様。


これが被害を、甚大なものにした。


・20時20分に携帯に「坂町全域避難指示」の知らせが。防災スピーカーから「町内全域に避難指示」が聞こえた。


・避難場所に指定されている町民センターに、こども2人と一緒なので車で避難。孫たちの母親は、職場から車で帰る途中、濁流に何度も流されるかと思ったとのこと。父親は仕事場から帰れず、土砂災害で道路が寸断されている中、何とか翌日に自宅に帰り着いた。


・避難所で、翌7月7日(土)テレビに坂町が何度も映し出される。自宅が写ったので「ああ家は無事なんだ」と確認できた。


・自宅に戻ったのは7月8日(日)。床下浸水で、泥が溢れていた。ボランティアの力を借りて何とか生活を取り戻している。


・罹災証明が昨日出された。川崎市の職員が手続きしてくれたとのこと。


この間,被災して改めて気づいた点、準備しておくことについて話された。


◯災害袋には、マスク、軍手、のど飴、目薬も忘れずに。(砂ぼこりなど凄いです)


◯想定外の事態に、準備情報が出されてもほとんどの人が避難しない。


◯避難場所と同時に、災害土砂や災害ゴミの置き場を決めておくこと。


◯井戸が役に立った。お話しいただいた家を含めご近所4軒が井戸を持っている。災害後の清掃や飲み水となる。日常から水質検査を行っておくこと。(井戸掘り30万円/1か所)猛暑の中頑張っているボランテイアさんからも、冷たい,生き返るとの評価。


この日も、いつでも誰でも使えるようずっと水が出してあった。


◯清掃するなどの間の水道代や電気代は何処が負担するのか明らかにすること。


◯家財保険をかけていたが、外にあったバイクや自転車は対象外だった。室外機は、洗浄して使えたということだが、使えなくなった場合は、家財としての保障があるのか。



◯罹災後の情報の共有ができるように。土嚢袋は一家に50袋無料であることや、ゴミの出し場所の指定を各家庭に情報として届くようにすること。


◯ブルーシートを家に1枚など十分な量の確保を。


◯車を避難させて水に浸からない場所をあらかじめ決めておく。


◯土嚢づくりにはオイル缶が便利。


・役場職員の絶対数が不足している。人も重機も全く足りていない。人の不足人材不足は広域合併の弊害が出ていると思う。


・役場職員は、2〜3年で移動なので、スペシャリストがいない。


・マンホールの蓋を上げ、道路の下の水路に水がながせるのかの情報があれば、清掃が早くできるが。


・同じ被災者でも、避難所には情報や、支援が届くが、自宅被災者にはほとんど被災者のための情報が届かない。


・避難路の確保のためにも、赤線青線の不法占拠をさせないこと。



津波対策の、海抜表示が各所にある。被災地ではマスクは欠かせない。


情報が住民に確実に届く方法を

まず、防災スピーカー設置は最低限で、その上防災スピーカーは、豪雨の中で聞こえない場合もあるので、確実に家の中で情報が届く、FMラジオなどの設置も考えなければならないと思った。


駅への帰り道で、改めて被災状況を見る。家の中から運び出された畳などと家財道具。大勢の住民がボートで救出された集合住宅。



1階は土砂が流れ込んでいた。


1階部分が土砂に浸かってしまい再開されていない診療所と薬局と信用金庫。



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横浜市会議員〈港南区〉

三輪 智恵美

みわ ちえみ

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