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私にとっての平成はニュージーランドで始まりました。そして、県議会で終わります。

(高校卒業後、NZへ渡航。アジア各国を廻る。その後、スリランカに職業訓練学校設立)


私は、高校を卒業してすぐ(1988年3月)に、18歳でニュージーランドへ渡り、2年間にわたって海外生活を経験しました。昭和天皇陛下崩御の知らせは、ニュージーランドにて知りました。日本においての当時の空気感を私は知りません。

(ニュージーランドでは、就労ビザを取得し、少林寺拳法の指導員をしていました。現地の中学校などにも出向いて教えていました。)


その前後、シンガポール、マレーシア、タイ、台湾、香港等、アジア各国を半年ほどかけて、ひとり、それぞれの国の友人を訪ね バックパッカーとして、各国を廻りました。中国天安門事件直後のアジア各国の華僑の友人を訪ね歩く旅は、それまでの私の価値観をひっくり返すほど、私にとって衝撃でした。


帰国後は、料理屋を営む家業を継ぐ為に 2年間、伊豆の旅館で修業し、調理師となりました。その後、実家に戻り、通算で10年近く、調理師の仕事をして参りました。その間、調理師の仕事をしつつ、スリランカに職業訓練学校をつくる等、国際支援活動もごく小規模でありましたが、形にして参りました。

スリランカでの職業訓練学校設立・運営の活動は、その後の「平成10年度 国際ソロプチミスト日本財団ボランティア表彰(全国表彰)」や「慶應義塾 SFCアワード」「慶應義塾塾長賞(奨励賞)」授賞につながりました。一定の評価を頂きました。

「国際ソロプチミスト日本財団ボランティア表彰(全国表彰)」は、国際ソロプチミスト厚木としては、初の全国表彰であったとお聞きしています。


(市議会選挙落選後、大学進学を決意)


その後、29歳で、初めて厚木市議会議員選挙に挑戦して落選しました。


一人前の調理師にもなれず、政治家にもなれなかった私は、それでも、政治の道をあきらめきれず、一年かけて大学を受験し、30歳で慶応義塾大学総合政策学部に進学しました。政治家になるためには、 必ずしも高校や大学を卒業している必要はありませんが、私は、高校卒業から12年遅れて、大学へ進学し、政治を一から学び直しました。


大学3年時の33歳で、厚木市議会議員選挙に初当選し、今に至ります。当時は、学生議員でありました。12年遅れて、大学に入ったことは、とても新鮮でした。私のまわりの学生たちは、先輩も含めて、ほぼ全て年下で、年下の先生も数人いらっしゃいました。


その後も、世界各地を廻り、厚木市議会副議長時代は、全国市議会議長会から代表として、北方領土への訪問団に加わり、国後島(訪問手続)と択捉島にノービザ渡航をする等の経験をさせて頂きました。


一世を風靡した事業仕分けにも「仕分け人」として、参加させて頂きましたし、慶大卒業後は、そのまま、学生議員となるべく、早稲田大学大学院(アジア太平洋研究科)へ市議会議員の立場で進学しました。大学院に進学し、2年生時には、結婚することができ、二人の子宝にも恵まれました。

気苦労をかけた母を昨年夏に亡くし、今となっては、大した親孝行もできなかったことが、一番の心残りです。


(震災対策と被災地支援)


「阪神淡路大震災」は、我が国における防災対策の大きな分岐点になりました。私も現地入りし、活動を展開しました。必要物資が不足する状況の中、「全国から届く物資」も大阪近郊で滞り、現場にいた誰もが課題を認識しながらも問題を解決するには人手が全く足りない状況でありました。


その後、2004年12月26日、28万人以上の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の現場にも入りました。当時私は、調理師の仕事をしながら、スリランカに職業訓練学校を設立・運営する活動をしていました。友人の国務大臣(当時)と共に被災地を廻り、支援等を精力的に行いました。震災や津波被害現場での活動経験が政治を志す原点であり、厚木市議当選後、消防団に市議の立場で入団した理由もそこにあります。市議・県議として、震災と正面から向き合いました。


東日本大震災発災当時、学校を所管する厚木市議会議員(環境教育常任委員長)でした。その後、広域的に活動できる県議を目指し、県議選に挑戦しました。県議当選後は、震災対策と被災地支援・調査研究を所管する常任委員会と特別委員会の両方、且つ、二年間連続して就任し被災地支援に全力であたりました。


(そんな平成が本日 終わります。初心忘るべからず)


そんな平成が、本日で終わります。厚木市長選挙に挑戦し、敗れましたが、その後の県議会議員選挙で当選をさせて頂き、県議会議員として、平成を終えることができました。

明日から、新しい時代「令和」が始まります。新しい仲間たちと共に新たな時代をスタートすることを決めています。


【写真】: 高校を卒業し18歳でニュージーランド渡航/アジア各国を訪問。香港ではデモに/スリランカでは職業訓練学校を設立・運営/大学3年時に厚木市議会初当選/大学院卒業間際に結婚/二人の子宝に恵まれました

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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

さとう ともかず

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