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国会リポート vol.409(2020年7月9日)

 コロナ禍で世界中がリモートワークの重要性を再認識致しました。リモートワークをやってみて実は自分にはほとんどやるべき仕事がなかったと衝撃的な事実に気付かされた中間管理職もいるようです。リモートワークは何が本当に必要で、何が必要なかったかという仕事の事業仕分けもやってくれたようです。生産ラインに携わる人たちは別として、ITや専門職に携わる人たちは、職場に居ようと自宅に居ようとパソコンがあれば仕事に支障がないということが再認識されたわけです。となると移動に要する時間は仕事に回せるという事になります。ただ、先進諸外国と比べて抜本的な課題は仕事に対する対価とそれを構成する労働法制との整合性です。いわゆるジョブ型労働とは、対象業務に価格が付いているわけで、年齢経験に関係なくその仕事をこなせばいくらの対価という労働制度が設計されています。かつて官邸で行われた政労使の会議の席上、同一労働同一賃金の主張が連合側代表からありました。その時私は「わかっておっしゃっているんですか?それはすなわち年功賃金を否定することになりますよ。ベテラン社員だろうと新入社員だろうと同じ仕事なら同じ給料と言うことですよ。」と疑問を投げかけましたが、就業年数の長さをどのように評価するのかというところが、日本がジョブ型に転換しきれない根本原因です。当時それを加味して、同一労働同一賃金ではなく同一労働均衡賃金という苦肉の表現をしていました。そもそも労働法制がジョブ型賃金をベースにはしていません。「仕事に価格が付く」欧米型は高い賃金を得ようとする労働者は、高い値札のついている労働にステップアップしていくためにそれに見合ったスキルを付けていくという職業能力開発を行います。ジョブ型賃金とは成果主義とも関連してきます。リモートワークではタイムカードがあるわけではありませんし、育児と両立させながら働くこともあります。つまりその仕事の要求する結果を出せば、8時間働こうが、5時間で済まそうが労働時間は問われないわけです。日本の労働法制は就業時間と報酬がリンクしている法制です。日本のリモートワーク率が低いと指摘されているのは、デジタル化の遅れとデジタル化に対する労働法制の整合性の2つが要因となっています。


 1年ほど前、ある眼鏡メーカーが仕事に最も集中できる環境の調査を致しました。人間が仕事に集中して行くにしたがって目の動きが止まっていくという現象を根拠にセンサーで目の動きを追い、動きが長時間止まった時GPSでどこに居たかを割り出すという調査です。人によって集中できる場所が公園のベンチだったり、図書館だったり、自宅の自室だったり色々と場所は変わっていたようですが、一つだけ共通しているのはどの場所が一番気持ちが集中しないかと言う結果で、それはオフィスの自分の机だったそうです。それからすると、リモートワークは自分が最も集中できる場所を選択できるわけですから、全員が最も効率よく働けるという事にもなります。テレワーク経験を通じて今後必要とされる要素は「おしゃべり」と言う報告も来ています。無駄に思えるダべリングが仕事の潤滑油になるという事です。真に必要な事だけ積み上げ無駄を省いていくと逆に生産性が下がる、ある種の無駄が生産性を上げるとは極めて人間社会的で説得力のあるものです。スティーブ・ジョブズがイノベーションは(一見無関係な)リベラルアーツ(広範な教養)の上の専門性から発生すると言ったのは真理です。

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衆議院議員〈比例代表 南関東ブロック〉

甘利 明

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