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本日も議会登庁/神奈川県内20の小選挙区に立候補した85人の選挙公報を全て確認するところから振り返りを始めています

本日午前中は 小田急相模原で 挨拶廻り。町田駅経由で、神奈川県議会に登庁しています。写真にある「お肉」は、昨日、私が作った豚スペアリブ ビール煮込み。食事の写真は本日のお弁当(健康中華 青蓮)です。
本日は、決算特別委員会県外調査が実施されています。維新県議団からは、松川、片桐の両議員が委員として参加しています。厚木市内で再編統合された厚木王子高校を視察して頂きました。
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令和6年4月、神奈川県の県立高校改革Ⅱ期実施計画により、厚木東高校、厚木商業高校が再編・統合され、厚木王子高等学校として開校いたしました。同校は、普通科と総合ビジネス科の併置の特色をいかした多様な科目配置等により、実社会を生き抜く力を育むための幅広い学びの実現を図ることを目的とし、地域における新たな高校としてこれからの社会に貢献する人材の育成を目指します。旧厚木東高校敷地内に新設した「商業教育棟」には、新しいデザインの教室、広い図書館、452人を収容する大規模ホール、DXハイスクールを推進するためのスタジオや多目的利用が可能な施設・設備が整理されるなど再編・統合により、これからの時代に求められる資質・能力の育成に向けた学習活動を展開するための設備が大変充実しています。
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解散総選挙が終わりました。私たち「日本維新の会」にとっては、党勢の影響をもろに受けた戦いとなり、非常に厳しい戦いでした。自民・公明「過半数割れ」で政局に突入し、わが党としてもその姿勢が問われています。即座の連立入りはないとしても「来年通常国会の会期中、2025度予算案の衆院採決時に政策ごとの部分連合(パーシャル連合)で連携するのではないか」との憶測も飛び交います。今回の選挙で「自民1強時代」の終わりの始まりを私は感じています。
私たち神奈川維新の会は、今回の選挙戦の総括をしっかりと行わなければいけないと考えています。

今回の選挙で私たち日本維新の会は、何を訴えたかったのか、躍進した立憲民主党は何を訴えたのか。まずは、神奈川県内20の小選挙区に立候補した85人の選挙公報を全て確認するところから始めています。
=「身を切る改革」「企業・団体献金の禁止」で財源を生み出し、「教育の無償化」等、若い世代に投資する=等の政策は、有権者に伝わりにくかったのではないかと認識しています。
私たちは「具体的な目指す社会像」を明確に示すことができなかったのではないかと考えています。

そもそも維新の政策のロールモデルは、1980年代の行財政改革(ロジャーノミクス)にあるのではないかと考えています。行財政改革で無駄を省き、社会保障改革や教育に重点投資を行った1980年代のニュージーランドの行財政改革。「New Public Management(NPM)」と呼ばれる公的部門改革は、日本においても見本とされています。私は1988年からの2年間、ニュージーランドで働いておりましたが、当時のニュージーランドは経済的にも非常に厳しく、改革の痛みも社会全体で感じられました。
日本では、私の渡航前1989年(平成元年)から消費税が導入されましたが、当時私が居た ニュージーランドでは、すでにGST(消費税)は10%でした。日本と異なるのは目的税化されており医療費に用いられています。
当時から、ニュージーランドには、国内で起きた事故による障害に対して治療費を補填するACC(The Accident Compensation Corporation)という制度があり、アクシデントによる医療費は、当時全て無料でした。私は、ニュージーランドハミルトンで2度、このACCの恩恵を受けています。一度目は、バイクの自損事故により、意識を失い救急車で搬送され入院。二度目は、丸鋸(スキルソー)で左足太ももを切り、18針縫う怪我をした時。当時は、私たち外国人でも、消費税を払っているので、ACCの適用を受けられると当時、聞きました。

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私は 18歳から家を出て働きはじめました。社会人としてのスタートの地は、ニュージーランドでした。
(その後、アジア各国を廻り、帰国後、有名な親方の元で調理師修行。調理師として働きながら、フォスタープラン協会(現 プランインターナショナル)翻訳ボランティア、NGOを設立し、スリランカに職業訓練学校を設立(この活動は 国際ソロプチミスト全国表彰、慶応義塾塾長賞受賞、慶応義塾大学SFCアワード受賞)、ツルネン マルテイ事務所ボランティアを経て、30歳で慶応義塾大学入学。大学3年時に市議初当選。市議2期を経て、県議(現在4期目))
高校卒業と同時に18歳でニュージーランドへ単身で渡航。ワークビザを取り、少林寺拳法指導員として働き始めました。後半は農場に住込み、酪農業。日本食レストラン(MIKADO)でバーテンダーとしても働いていました。
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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

さとう ともかず

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