東日本大震災・福島第一原発から本日で14年
東日本大震災・福島第一原発から本日で14年となります。今年も発生時刻に合わせて、黙祷を捧げました。震災関連死を含めた死者と行方不明者は、あわせて2万2228人にのぼるとのことです。
当時私は、発災時は厚木市議会議員の環境教育常任委員長(学校や環境問題を所管)として対応しました。大震災を機に、広域的に活動できる県議を目指し、所属政党現職県議のいる中、県議選(当時は民主党。私は最後に決まった県議会公認候補=厚木市選挙区定数3で二人目)に挑戦しました。
14年前の県議選は、作業服(防災服)で選挙戦を戦い「当選後はそのまま被災地に向かいボランティアに入る」と約束をしました。県議当選後は、震災対策と被災地支援・調査研究を所管する常任委員会と特別委員会(震災対策調査特別委員会)の両方、且つ、二年間連続して就任し被災地支援に全力であたりました。東日本大震災は、広域自治体である神奈川県議会議員としての私の原点でもあります。
本日は被災時と同じく地元にいて、防災行政無線の放送に合わせて黙とうを捧げました。
私の地元事務所に人は常駐していません。通常は、神奈川県議会維新県議団控え室に2名の職員が常駐しており、スーパー秘書となって対応してくれています。神奈川県庁にお越しの際は、ぜひお立ち寄り下さい。地元陳情は、県庁でも厚木事務所でもどちらでも対応できますので、ご連絡下さい。
閑話休題。本年は1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災から、30年目の節目の年でもあります。「阪神淡路大震災」は、我が国における防災対策の大きな分岐点になりました。私も現地入りし、活動を展開しました。必要物資が不足する状況の中、「全国から届く物資」も大阪近郊で滞り、現場にいた誰もが課題を認識しながらも問題を解決するには人手が全く足りない状況でありました。
その後、2004年12月26日、28万人以上の犠牲者を出したスマトラ島沖地震の現場にも入りました。当時私は、調理師の仕事をしながら、スリランカに職業訓練学校を設立・運営する活動をしていました。友人の国務大臣(当時=ワジラ・アベイワルダナ議員)と共に被災地を廻り、支援等を精力的に行いました。
震災や津波被害現場での活動経験が政治を志す原点であり、厚木市議当選後、消防団に市議の立場で入団した理由もそこにあります。市議・県議として、震災と正面から向き合って参りました。現在、消防などを所管するくらし安全防災局と警察本部を所管する常任委員会委員として、働いています。

2025年03月11日 15:54