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火災出動(延べ床面積約660㎡のうち、約100㎡及び車両一台を焼損、鎮火に至る)/長崎への原爆投下から70年「長崎・平和記念朝起き会」/厚木市民朝市


昨晩、市街地で火災が起きました。延べ床面積約660㎡のうち、約100㎡及び車両一台を焼損しましたが、本日未明、鎮火に至りました。(いずれも消防本部発表の数字)(火災出動指令8月9日午前2時22分)

私自身も消防団員として出動し、最前線で消火活動に従事しました。鎮火後は、消防本部及び担当部に現場監視を引継ぎ、現場を離れ、帰署しました。その後、消防車両待機舎に戻り、使用したホースをホース乾燥柱(手動ウインチ式)に干す作業を行い帰宅しました。


火災現場の状況によっては、鎮火後に再び発火することもあります。消防団員は再発火防止のため、また、最発火した場合にもすぐに対応できるよう、消防本署や担当部が現場に残り監視を行います。


火災現場では、操法演習で培った技術が、時として地元地域と仲間の命を守ります。また、集中豪雨等による浸水被害時、河川や山の不明者捜索時にも消防団は、行政からの要請を受け真夜中でも出動します。



/本日は、長崎への原爆投下から70年となる忘れてはならない日です。昭和20年8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。

今は亡き、妻の実母は長崎出身であることから、8月9日は、私にとってより特別な日となりました。当時投下された、原爆により、24万人の市民のうち、7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。本日の長崎平和宣言の中にも次のような発言がありました。

「70年は草木も生えない、といわれた廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。しかし、放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。」

8月6日の広島原爆の日と共に忘れてはならない日です。




/私は、朝5時から始まる「長崎・平和記念朝起き会」に来賓として出席をさせて頂きました。「平和」という観点から、毎年実施されており、私自身も欠かさず出席しています。本日も不幸な歴史を繰り返すことのないようにとの思いを込めて参列させて頂きました。


/式典終了後、本日も毎週日曜日午前5時30分から7時まで行なわれている厚木市民朝市にお伺いしました。朝市の中では、多くの方々にお声掛け頂き、いつも様々なお話をお伺いすることが出来ます。




【写真】: 本日の消防団出動後の様子。(部長の帰署命令が出された後、消防小屋に帰署後撮影)/厚木市民朝市の様子。皆さん温かいです。




カテゴリー:活動日誌, 消防団活動
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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

さとう ともかず

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