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アメリカ同時多発テロ事件(9.11)から14年/台風17・18号影響による大雨・鬼怒川の堤防決壊から一夜/県議会・平成27年度 第3回定例会(代表質問)/被災地(茨城県)へ神奈川DMAT派遣/県庁にDMAT調整本部を設置

本日も妻の出社を見送り(朝6時30分)、子ども達に朝食を食べさせたのち、子ども二人(長男5歳半と長女2歳半)を保育園に送り届けてから、県議会に登庁しました。


/本日は県議会・平成27年度 第3回定例会(代表質問)が開会されています。登庁後は、県議団正副団長会、県議団役員会を経て、団会議、本会議終了後、団会議(再開)が行われました。


/台風17・18号の影響による大雨は、茨城・栃木・埼玉・千葉の各地で、記録的豪雨をもたらし、各地で被害が出ています。特に9月10日、常総市三坂町の堤防を決壊させ、鬼怒川の濁流が町をのみ込みました。鬼怒川の堤防決壊から一夜明けた本日も、被害は確定していません。

台風の影響による大雨被害のため、茨城県常総市をはじめ、被災されました方々に心よりお見舞い申し上げますとともに、未だ取り残されております方々の一刻も早い救出を心よりご祈念申し上げます。


/神奈川県においては、本日、茨城県からDMATの派遣要請があり、当番医師に登庁を要請すると共に、午前8時15分に県庁にDMAT調整本部を設置しました。午前8時40分から、順次派遣し、正午までに28チーム(当時=現在は26チーム)を被災地に派遣しました。


※ DMATとは災害の急性期(災害発生から48時間以内)に活動できる機動性を持ち厚生労働省が実施する「日本DMAT隊員養成研修」を受講した救急治療を行うための専門的な訓練を受けた医療チームのことで、Disaster Medical Assistance Team の略であり、概ね、医師、看護師、調整員の5人で編成しています。

・DMAT活動内容= 1.現場活動:消防機関と連携したトリアージ及び緊急治療 2.域内搬送:被災地内での患者搬送及び搬送中の治療 3.病院支援:被災地内の災害医療拠点病院での患者の治療 4.広域医療搬送:被災地内では対応困難な重症患者の被災地外への搬送


※ トリアージとは災害時にできるだけ多くの負傷者を救うため、負傷者の緊急度に応じて治療や搬送の優先順位を決定する行為です。


/本日、9月11日をもって「アメリカ同時多発テロ事件(9.11)から14年」が経ちます。

妻(当時、現地の銀行で働いていた)の元同僚も世界貿易センタービルで亡くなりました。妻(当然、当時は顔も知りません)も東京に転職していなければ、911で間違いなく被害にあっていたはずです。他人事ではありませんし、今、現在においてもテロの危険は過ぎ去っていません。

2001年9月12日の「佐藤知一日誌」より) 「今日、夜10時頃帰宅してびっくり。 ニューヨークの世界貿易センターや米国国防総省が、火の海となっています。まるで映画か何かの様で、現実のものとは思えない。阪神大震災をテレビで見た時のことを瞬間的に思い出しました。あの時は実際に物資を持って現地に駆け付け、テレビ以上の悲惨さに二度驚きましたが、おそらく今回のマンハッタンの惨状もテレビ画面の比ではないのでしょう。現在、午前3時。火の手は消えません。私の慶応の学生達数人は、この夏休みをニューヨークで過ごしているはずだったような気がする。(慶応にはNY校があり、親がNY在住と言うのも珍しくないが、)まさかとは思うけど大丈夫だろうか? 心配だ。」

※ 2001年9月12日の日誌は http://yahoo.jp/box/UdkIOz (ヤフーボックスの中)で閲覧できます。

【写真】: 鬼怒川の堤防決壊から一夜。


カテゴリー:活動日誌
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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

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