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本日は「終戦記念日・終戦の日」/アミューあつぎ5階 アートギャラリーにて開催(本日最終日)「あつぎごちゃまぜフェス」/神奈川県で緊急搬送先の病院が見つからず翌日死亡

神奈川県は、新型コロナへの感染が確認された90代の女性が、先週、救急搬送中に受け入れ先の病院がみつからず、自宅に戻され、その翌日に死亡したと発表しました。(報道によると)県の担当者は「医師が入院が必要と判断した人が入院できなかった、非常に残念な事例と受け止めている。医療機関も努力しているが、県としても、必要な人が医療の措置を受けられるよう、病床確保に努めたい」と話しています。
神奈川県の病床使用率の高さは、沖縄県と並んで、全国でも突出しています。入院者数は大変厳しい状況が続き、今後もひっ迫するとみられています。コロナは風邪ではありません。引き続き、マスク着用や換気など基本的な感染対策の徹底をお願いします。

/本日は「終戦記念日・終戦の日」です。77年前の1945(昭和20)年8月15日、日本は戦争に負けました。この戦争では、兵士だけでなく、多くの民間人も命を落としました。8月15日は、1982年に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定され、英語では「the Day to Commemorate the War Dead and Pray for Peace」と表記されます。

私の祖父は、小鮎地区古沢で生まれ育ち、トラック島で終戦を迎えその後、日本へ帰国した帰還兵でありました。日本軍も見放したほど激しい戦闘が繰り返された地で、戦争を戦った祖父でしたが、亡くなるまで、かの地で命を落とされた戦友の事を思い続けていました。私の幼いころ、終戦の日を迎えるこの時期、私の家に祖父の戦友が集まり、車座になって献杯をしていました。酒の飲めない祖父も、この時だけは、日本酒に砂糖を入れて流し込むように戦争で亡くなった仲間たちへ献杯し、その後も帰還兵の戦友たちと、酒を酌み交わしていました。祖父は、私が小学生の時に亡くなりました。祖父が私に現地での体験・戦争体験を語るには、私は幼すぎました。祖父から、戦争体験を聞かせてもらいたかったと少し残念に思っています。厚木市議会議員である渡辺貞雄市議の御尊父は、私の祖父と同じ部隊で戦争を戦った兵隊でした。渡辺市議の御尊父の下で、私の祖父が、戦争を戦ったとのことです。先の大戦が終わりを告げ77年の歳月が流れ、戦争体験の風化が危惧されています。また、世界に目を転じればテロや紛争が後を絶ちません。先の大戦で亡くなられた英霊に鎮魂の意を表しますと共に、日本を平和な国として保ち、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、共存できるよう努力して参ります。
ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻も続いています。コロナ禍も3年目です。
本日は、アミューあつぎ5階 アートギャラリーにて開催(本日最終日)の「あつぎごちゃまぜフェス」にお伺いしました。

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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

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