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本日は76回目の「終戦記念日・終戦の日」/水防警報待機(小鮎川・小鮎)#002667/警戒レベル4避難指示発令

本日は「終戦記念日・終戦の日」です。76年前の1945(昭和20)年8月15日、日本は戦争に負けました。この戦争では、兵士だけでなく、多くの民間人も命を落としました。
8月15日は、1982年に「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と閣議決定され、英語では「the Day to Commemorate the War Dead and Pray for Peace」と表記されます。

本日は、大雨の一日となりました。停滞する前線の影響で神奈川県内は西部を中心に記録的な大雨となっており、私の所属する厚木市消防団においても「水防警報待機(小鮎川・小鮎)#002667」が発令され、厚木地区、相川地区を除く、市内の土砂災害警戒区域にお住まいの方に対し、警戒レベル4の避難指示も発令(午前9時32分発令・午後5時12分解除)されました。
本日、午前6時57分、厚木市消防本部から、小鮎川(小鮎・堺橋)に水防警報(待機)が発令されています。第1分団・第3分団の団員は、自宅待機となり、水防警報が解除されるまで緊張は続きました。(午後4時43分水防警報解除)

閑話休題。
私の祖父は、小鮎地区古沢で生まれ育ち、トラック島で終戦を迎えその後、日本へ帰国した帰還兵でありました。日本軍も見放したほど激しい戦闘が繰り返された地で、戦争を戦った祖父でしたが、亡くなるまで、かの地で命を落とされた戦友の事を思い続けていました。私の幼いころ、終戦の日を迎えるこの時期、私の家に祖父の戦友が集まり、車座になって献杯をしていました。酒の飲めない祖父も、この時だけは、日本酒に砂糖を入れて流し込むように戦争で亡くなった仲間たちへ献杯し、その後も帰還兵の戦友たちと、酒を酌み交わしていました。祖父は、私が小学生の時に亡くなりました。祖父が私に現地での体験・戦争体験を語るには、私は幼すぎました。祖父から、戦争体験を聞かせてもらいたかったと少し残念に思っています。厚木市議会議員である渡辺貞雄市議の御尊父は、私の祖父と同じ部隊で戦争を戦った兵隊でした。渡辺市議の御尊父の下で、私の祖父が、戦争を戦ったとのことです。先の大戦が終わりを告げ76年の歳月が流れ、戦争体験の風化が危惧されています。また、世界に目を転じればテロや紛争が後を絶ちません。先の大戦で亡くなられた英霊に鎮魂の意を表しますと共に、日本を平和な国として保ち、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、共存できるよう努力して参ります。

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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

さとう ともかず

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