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明日3月11日で、東日本大震災から12年となります

明日3月11日で、東日本大震災から12年

6434人が犠牲となった阪神・淡路大震災から本年1月17日で28年が経ちました。1995年1月17日午前5時46分。
当時は、私も震災から二ヵ月後、仕事を休んで、被災地(長田)に入りました。当時、25歳。最も衝撃を受けた光景でした。当時、アフリカ諸国に物資を送り支援するNGOを組織し、活動していた私は、アフリカ(ガーナ)向けの物資を(阪神向けに振替え)自分のワゴン車に詰めるだけ積んで、阪神のNPOと連絡を取りながら、現地入りしました。
その後、東日本大震災も経験し、振り返れば、阪神・淡路大震災のおきた1995年は、ボランティア元年と呼ばれました。神奈川県議会でも多くの議員が防災の重要性を唱えています。私も初当選から、震災対策調査特別委員会の委員、所管の県民企業常任委員会(当時)の委員として議会で働かせて頂きました。

そして、明日3月11日で、東日本大震災から12年となります。私は、発災時は厚木市議会議員の環境教育常任委員長(学校や環境問題を所管)として対応しました。12年前の県議選は、作業服(防災服)で選挙戦を戦い「当選後はそのまま被災地に向かいボランティアに入る」と約束をしました。私はこの東日本大震災を経て、県議会議員となりました。広域自治体である神奈川県議会議員としての私の原点でもあります。

=県議会初当選後(12年前)のブログより引用=
私自身もこれまで、阪神淡路大震災やスマトラ沖大地震による津波被害の現場(スリランカ)等の入り、活動を行って参りました。こうした活動がきっかけとなり、地元の消防団に入団し、団員として防災活動にあたっています。また、今回の神奈川県議会の役職改選では、強く希望していた「震災対策調査特別委員会」への配属が決まりました。個の特別委員会は、東日本大震災を受け、被災地支援や県の防災対策などを協議するために新設された特別委員会で、「東日本大震災に係る被災地支援について」「東日本大震災に伴う神奈川県への影響について」「神奈川県の地震防災対策について」を所管し審査するものです。
以上のような状況の中、20日の晩から足かけ3日間の日程で、岩手県被災地(主として大船渡市)にて汚泥撤去・瓦礫撤去作業をして参りました。活動場所は津波被害をうけた地域。30名の有志を募り、バスをチャーターしてのボランティアです。現地大船渡では、地元の藤原良信参議院議員に様々なお手配を頂きました。足かけ三日の活動ではありましたが、報道だけでは伝わらない被災地を実際に見て、現場の方々のご意見も頂戴しながらの活動は、神奈川県議会議員としても非常に勉強になりました。単なる視察ではなく、実際に汗をかき仕事をする中で、瓦礫撤去・汚泥の除去が、如何に大変な作業であるのか、身をもって経験できたことは今後の議会活動をする中でも参考になりました。もちろん、実際に被災された方々や数か月間も現場に入り活動されている方々と比すれば、私たちの今回の活動などは、比較の対象にすらなり得ないことは自明です。また、今回の被災地入りに関しては、「バスの中で宿泊をする」「昼食は衛生面や地域負担などを考慮し菓子パンとする」「地方議員等の公表は一切せず、現場においては、災害救済ボランティアセンター等、現地受け入れ機関の支持、指導に従って行動をする」など心がけ活動をさせて頂きましたことを付け加えさせて頂きます。
/作業の成果としては、(汚泥を中心に)2トン収容が可能な「土嚢(大型土のう丸型・コンテナバック)」を26袋(52トン分)。女性7名を含む30名での作業としては、平均以上の働きだったと考えています。本当に参加した仲間たちも良く頑張りました。
/今回入った地域は、河川付近。地域を飲みこんだ濁流は下水と混ざり、雑菌と有機物を含んだ汚泥が街を覆い尽くしました。水が引いて乾燥しても強烈な悪臭を放ちます。「水害で一番厄介なのは、水の引いたあとに残される大量の汚泥」であると言われています。今回、私たちが撤去作業にあたった汚泥・砂については、それほど強烈な臭いはありませんでしたが、汚染物である危険性もあるため、素手で触ることは禁止とされました。全員ゴム手袋を着用の上で、作業手袋を着用し、帽子とゴーグル、防塵マスクを着用しての作業となりました。日差しもきつい中、前述の成果を残しました。
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【写真】: 東日本大震災被災地(大船渡市)での瓦礫撤去・汚泥撤去(土のう作成)作業の様子

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県議会議員〈厚木市・愛川町・清川村〉

佐藤 知一

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