異論者への排除はあってはならない
【会派拘束はなくすべき】
今回の第二回定例会において、自民党発議で提案された議員提案条例「こども・子育て基本条例」は、86名の横浜市会議員のうち79名の議員が提出者となり、6月5日の本会議で可決成立致しました。
しかし、私が所属する立憲民主党会派も提出者となったのですが、私だけ提出者に名前を連ねませんでした。条例策定過程が拙速であることと、条例案の内容にそもそも問題があると考えたからです。6月5日の本会議では反対票を投じました。
また、市民からの請願第3号「地方自治法の一部を改正する法律案の廃案を求める意見書の提出」には、立憲民主党会派は「不採択」としましたが、私は「採択」といたしました。これも会派の中では私だけ採択と致しました。
私は、条例の提出者とならなかったこと、そして2つの本会議採決、計3つの案件について、会派の決定に従わず、一人のみ異なる決定をし、いわゆる「造反」を致しました。
この会派決定に従わなかったことについての私へのペナルティの取り扱いについて、明日の6月10日(月)11時30分から開かれる団会議(会派の全員が参加する意思決定会議)で議題となる予定です。
どのようなペナルティが科されるのかは、明日の団会議で分かりますが、私は、二元代表制(公選首長制)である地方議会においては、全国でも必ずしも会派制が採用されているものでもなく、会派を組んだとしても、常に会派内で賛否を一致させねばならないということが、絶対的な常識というわけではないと捉えており、異論者に対してペナルティを科すことは、二元代表制においてはむしろ間違った運用であると私は考えております。
議院内閣制である国会においては、党議拘束が課されることは一定の合理があるとは思います。憲法によって、国会が首長たる内閣総理大臣を生み、内閣は行政権の行使について国会に対し連帯して責任を負うこととなっており、国会における勢力が行政権に直結しているからです。
しかし、首長が直接市民によって選出される二元代表制では、議会における勢力がいくら大きくとも、行政権に結び付くことはありません。それが「三権分立」を体現すべき二元代表制の姿です。
二元代表制においても会派拘束を厳しく運用すべきとの主張は、次のように語られます。いわく、予算案等の行政提出の議案を否決できる「過半数」を握る勢力や、一定数の議員を抱える会派は、首長や行政に対して要求を通すことができ、市民意見を実現するために有利だ、とのことです。しかし、過半数勢力や中堅会派が首長に対して政策実現を優先して要求できるような、また、それらの要求を首長は実現しなければならないとの法律も条例も存在しません。
また、今回のように議員提出条例案に関しては、その成立に過半数が必要です。議員が条例を作り行政に執行させるため、会派拘束によって過半数を確保することは過半数勢力にとっては合理的かも知れません。しかし一方では、過半数勢力によってどのような条例も可決されてしまうという歯止めの効かない状況を生む要因にもなりかねません。過半数勢力以外の勢力は、条例案を作っても可決できる力がないために、ややもすると過半数勢力におもねり、自らの考えを曲げてでも過半数勢力に賛成し、会派拘束によって会派の意見をまとめようとしてしまいます。
私は、このような存在根拠の希薄な地方議会における会派拘束のあり方は、「あるべき」という前提すら確立されていないなかで、常に不文律のように存在してきたものである以上、議員に保障されている行政に対する質問権や審査権を奪ったり、議員活動を制限するようなペナルティは、あってはならないものと考えています。
何より、議会で議論すべきことを負託された議員が、自らの良心や信条を放棄しなければならないほどに厳格な会派拘束は、市民への裏切りのルールであり、あってはならないものと私は考えます。議員には、憲法第19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とある通り、堂々と、安心して、自らの信条とともに採決に臨める環境が必要です。これからの横浜市会において、また、全国の地方議会において、多様性の尊重を欠いた不条理な会派拘束は残したくないと思いながら、明日の団会議に臨みたいと思います。
【団会議における批判】
こども・子育て基本条例の提出者にならなかったことについて、5月10日に開かれた立憲民主党会派の団会議(会派の意思決定会議)において、三役(団長・副団長・政調会長)の決定に反したとして、私は厳しい批判を受けました。
私が三役の決定に背いたことについて、5月10日の団会議において会派のメンバーからは、「出処進退を考えるべきだ」「好き勝手やるなら一人になるべき。おれなら一人になる」旨の、大変厳しい批判がありました。非常に精神的な苦痛を感じ、衝撃を受けました。どのようなことであれ、13対1の状況で厳しく批判されることはつらいものです。
私はこのような異論者に対する厳しい糾弾の状況は二度と生むべきではない旨を団長に訴え、「今後二度と異論者に精神的苦痛を与える同様の事例を生まないことを会派全員で確認し合うこと」を5月13日に団長に文書で要請をしました。その回答も明日の団会議でいただけることとなっています。
また、ペナルティはその期間が結果的に2年に及ぶものもあり、たいへん厳しいものとなっています。そもそも、ペナルティによって議員の賛否態度を左右させるようなことは民主主義を体現すべき議員としてあってはならない行為であり、私は、ペナルティ制度は撤廃するべきと団長に同じく文書で要望しましたが、これは撤廃せず、軽減もしないと却下されている状況です。
【会派決定に従わなかった理由】
最後に私が、会派決定に従わず、こども・子育て基本条例案の提出者とならず反対したことと、地方自治法改正案に反対する市民の請願に賛成(採択すべきと)した主な理由を簡素に述べます。
(こども・子育て基本条例)
まず、こども・子育て基本条例案については、①条例案の作成過程が、こどもの意見をしっかり聴いた形跡はなく、会派間においても会派内においても、議論が未成熟なまま早期の成立ありきで進められ拙速であったこと。②その前文にある「こどもが、自立心を養い、自ら研鑽に努め、…(中略)…社会の形成に参画するため」という文言は、それが困難な心身の状態にあるこどもにとって過重な心の負担を強いてしまうこと、また、すべてのこどもに「あるべきこども像」を押し付ける条例となってしまうこと。③「こどもの権利」について一切の言及がなく、第1条「こどもと子育てに優しい『都市横浜の実現に寄与する』ことを目的とする」や第3条「活力ある社会」「協力してこどもを育む社会の形成」に見られるように、子どもの権利よりも、都市横浜や社会の形成を重視しており、子どもの権利条約やこども基本法にある「こどもの権利」そのものをどう守っていくのか具体的な言及がなく、こどもに関する基本条例とは言い難いこと。
この3点が主な理由となります。
こどもの権利について一言も触れていないということについては、有識者からも議長あて要望書が提出されているように、多くの指摘がなされているところです。横浜市会のなかで、今回成立した条例の改訂、あるいは、こどもの権利を守る新しい条例案の策定が今後検討される可能性もあるかとは思いますが、新しい条例案が作成されるとしても、今回の条例の不足した部分についてしっかりと反省・議論されることが必要不可欠です。
今回の条例の持つ問題点をきちんと指摘するという意味で、会派の決定とは違えることとなりましたが、市民に代理して責任を負う一議員として、ここはしっかりと反対の軌跡を残しておかなければならないと思いました。
(地方自治法改正案に反対する意見書の提出請願)
現在国会において審議されている、非常時において国が地方自治体に対して「指示権」を行使できるようにするという地方自治法改正案は、私は地方自治の危機であると捉えております。
今般の地方自治法改正に関する私の意見については、すでに5月8日の私のブログに詳細を記しておりますが、⇒国の指示権を認める地方自治法改正案に異議あり – 横浜の風 | おぎわら隆宏 (ogiwara-takahiro.com)
少々書き足りないところを述べますと、非常時しか影響が及ばないように思える「指示権」も、平常時の自治体職員の業務姿勢に大きく関わってきます。非常時についてどうするかを考えるのは国も県も市町村も皆が意識して取り組むべきものですが、地方自治体が非常時の計画を一生懸命練っても、結局、国によってちゃぶ台返しになるのなら、何もしないほうが効率的だ、と考えて国の指示を待つ自治体職員のマインドを生みかねません。いまでさえ、国の通知や制度を待って主体的に動けなくなっている横浜市行政が、さらに国の指示待ち団体に陥ってしまう恐れが非常に大きいと私は感じています。これは想像以上に市民生活に悪影響を及ぼすと私は思います。市民生活に近い市町村が、国に対して自立心をもって抗議や交渉を積極的に行っていかなければ、地方自治の停滞を生み、したがって中央権力の肥大化につながります。
立憲民主党会派は、会派としてこの請願を不採択としましたが、国会においても立憲民主党はこの地方自治法の改正に反対しており、党の方針に基づいても、私自身の考えに基づきましても、改正案に反対する市民の思いとともにあるべきと判断し、会派とは異なる判断を致しました。
以上、長くなり誠に恐縮に存じますが、明日の団会議を迎えるにあたり、状況のご説明と、私の考えを記させて頂きました。その結果につきまして、後日ご報告を申し上げます。
2024年06月09日 20:08