会津藩士の眠る丘 ― 鴨居に残る海防の記憶と、いまも続く祈り
横須賀市鴨居。
私が子どもの頃から慣れ親しんだ地域には、西徳寺、能満寺、腰越の墓地があります。
当時は由来を知らず、「会津藩士のお墓がある」という話だけを聞いて育ちました。
ここには、江戸湾を守り、故郷へ帰れなかった会津藩士たちが眠っている。
こうした会津藩士の歴史を詳しく知ったのは大人になってからです。
◆ 黒船より40年以上前、会津はすでに江戸湾を守っていた
江戸湾防備と聞くと「黒船来航」を連想するかもしれません。
しかし会津藩に命じられた海防任務は、1810〜1820年のこと。
当時、ロシア船の来航や外国勢力の動きがあり、
幕府は江戸を守るために 三浦半島沿岸を防備の最前線 としました。
その中で、会津藩は重要地点に陣屋や兵舎を構え、
沿岸警備
船の監視
砲術訓練
などを行い、江戸の海を守りました。
鴨居には 会津藩の訓練施設(養生館) が設けられ、藩士が常駐しました。
◆ 故郷に帰れなかった藩士と家族の墓
慣れない海風、湿気、病――
この地で命を落とした藩士、そして家族もいました。
墓石の中には、名を刻まず埋葬された者、幼くして亡くなった子の墓もあるといわれます。
「帰りたかっただろうな」
墓前に立つと、当時の風景が目に浮かぶようです。
◆ 今も続く法要 ― 祈りが受け継ぐ歴史
毎年11月、三浦半島会津藩士顕彰会によって法要が行われます。
墓前には仏花が添えられ、静かにお経が響きます。
この祈りが、彼らを孤独な存在にしません。
◆ 友好都市提携20周年 ― 絆の原点がここにある
2025年、横須賀市と会津若松市は友好都市提携20周年 を迎えました。
この交流の原点は、観光でもイベントでもありません。
三浦半島に眠る会津藩士を決して忘れない
という想いが、両市の心の絆の一つになっています。
私は鴨居の丘に立つたびに思います。
ここは、歴史と未来をつなぐ場所だ。
歴史は、語らなければ消えてしまう。
しかし、祈り続ければ残すことができる。
鴨居の静かな墓地は、
いまも確かに、会津の魂とともにあります。
2025年11月11日 07:24

