横須賀が目指すべきまちづくり 第2回 庭が消えたのは、好みの問題ではなかった
――住宅密集を生んだ「制度」と「合理性」
第1回のブログを読んで、
「狭い土地は誰も好んでいるわけではない。土地代が高すぎて買えないのだ」
というご意見をいただきました。
また、戦後の人口増加や高度経済成長、宅地の乱開発、そして今後の少子化や相続による空き家の増加、さらには既存の所有権や既得権という大きな課題についても指摘がありました。
どれも、まったくその通りだと思います。
そして実は、これらの要素はすべて一本の線でつながっています。
狭い土地は「選ばれた」のではなく「選ばざるを得なかった」
日本の住宅がミチミチしている理由は、住む人の好みではありません。
最大の要因は、土地価格と制度が組み合わさった結果です。
戦後、日本は深刻な住宅不足に直面しました。
とにかく早く、多くの人を住まわせる必要があり、都市には人口が集中しました。
その中で土地は細かく分けられ、
「買える大きさ」「ローンが組める価格」
に合わせて住宅地が形成されていきます。
広い庭付きの土地は理想であっても、
多くの人にとっては現実的な選択肢ではなくなっていきました。
建築ルールは「庭を守っていない」
ここで重要なのが、日本の住宅を縛ってきた建築ルールです。
建ぺい率
容積率
道路斜線・隣地斜線・北側斜線
これらは、安全や最低限の採光を守るための制度ですが、
「庭を確保しなさい」「家と家の距離を取りなさい」
とは一度も言っていません。
認められている範囲いっぱいに建てることは合法であり、
むしろ合理的な選択でした。
結果として、
60坪の土地は30坪×2に分割され
建物は敷地いっぱいに建てられ
庭は「余ったら作るもの」
になっていきます。
誰かが間違えたわけではありません。
ルールの中で、正しい判断を重ねた結果です。
かつては「分割を止めていた団地」もあった
私の地元の団地では、40〜50年前の開発当初、
60坪を超える敷地に家と庭を持つ、ゆったりとした街並みがつくられていました。
そこでは建築協定によって、敷地を分割して売ることが禁じられていたのです。
つまり、低密度で庭のある住宅地は、日本でも「意図して」つくられ、守ろうとされていました。
しかし時代が下るにつれ、
60坪の土地はそのままでは売れない
相続で現金化が必要になる
協定の期限切れや合意形成の難しさ
といった現実が積み重なり、
分割販売が主流になっていきました。
ここでも、誰かが悪者だったわけではありません。
問題は「できなかったこと」ではない
この話が示しているのは、
庭のある街は、
作れなかったのではない。
守り続ける仕組みが弱かった。
ということです。
そして今、日本は人口減少と空き家の時代に入っています。
かつてのように、詰め込まなければならない理由は、もうありません。
次回予告
次回は、
「横須賀は、本当は別の街になれたのではないか」
というテーマで、自然や緑、立地という横須賀の強みを、住宅地づくりにどう活かせたのか、そしてこれから何ができるのかを考えてみたいと思います。
同じ制度の中でも、街によって選べる未来は違うはずです。
2025年12月24日 07:30
