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横須賀が目指すべきまちづくり 第1回「なぜ日本の家は「息苦しい」のか」

――家と家が近すぎる街で感じる違和感

 

住宅地を歩いていると、ふと息苦しさを感じることがあります。
家と家の距離が驚くほど近く、窓を開ければすぐ隣の壁。視線や音が気になって、結局カーテンを閉め切ったまま生活している

 

――そんな住まいは、決して珍しいものではありません。

 

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私自身、ある案件で物件を探す中で強く感じたのは、「庭のある家がとても少ない」ということでした。
少しゆったり暮らしたい、緑を感じたい、窓を気持ちよく開けたい。そう思って探しても、現実には家が敷地いっぱいに建ち並び、外との距離がほとんどない住宅ばかりが目に入ります。

これは果たして、住む人の好みの問題なのでしょうか。
それとも、単に土地が狭いから仕方がないのでしょうか。


見ているだけで疲れる街並み

日本の住宅地の多くでは、道路を挟んでも、隣家との距離はわずか数十センチから1メートルほどしかありません。
そのため、窓はすりガラスだったり、開かない位置に配置されていたりします。

本来、窓は光や風を取り込むためのものです。
それが「開けない前提」で設計されている家が少なくないというのは、個々の家の工夫の問題というより、街全体のつくり方の問題ではないでしょうか。


庭が「贅沢」になってしまった理由

かつての日本の家には、大小はあっても庭がありました。
洗濯物を干し、子どもが遊び、植木を育てる。庭は生活の一部でした。

ところが今、庭は「余裕がある人のもの」「広い土地を買えた人だけのもの」のように扱われがちです。
物件情報でも、まず強調されるのは延べ床面積部屋数で、庭の広さや外の余白が価値として語られることは、ほとんどありません。

その結果、土地があればあるほど建物を大きくすることが正解のようになり、家と家の間の余白は少しずつ削られてきました。


これは「個人の選択」だけの問題なのか

もちろん、一軒一軒の家にはそれぞれの事情があります。
庭より室内を優先したい人もいれば、管理の手間を避けたい人もいるでしょう。

ただ、街全体が同じようにミチミチしているとしたら、それは個人の選択の積み重ねだけでは説明がつきません。
そこには、日本の住宅が長い時間をかけてそうならざるを得なかった「仕組み」があります。


次回予告

次回は、
「庭が消えたのは、好みの問題ではなかった」
というテーマで、建ぺい率や容積率、斜線制限といった住宅ルールが、どのように今の街並みを形づくってきたのかを見ていきます。

なぜ、家はここまで密集するようになったのか。
実はそれは、誰かが間違えたからということではないのです。

 

 

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県議会議員〈横須賀市〉

永井 真人

ながい まさと

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